そのとき、はじめてお悔やみを言いました。
「お蝶小母さんが亡くなられて、私もさびしくなりました。」
すると、私のまんまえでこちらを向いていた栄作小父さんは、ほんとうに静かな動作で、つうっと横を向いてしまい、そのまま直立の姿勢をくずさないでいるのでした。まわりに同じ村の人たちが四、五人はいたのですが、敏感にその場の気配を察して、私と栄作さんの間の雰囲気をそっとしておくために、心をくばったようです。瞬時のことです。
妻をなくして、もうだいぶ月日がたっているのに、夫である栄作さんのつらさが、私に挨拶されて、そんなにも新しくよみがえったことに、まわりの人たちがいたわりを見せたのでした。細身で、どちらかといえば背の高い、農仕事でひきしまったからだ。面長で鼻筋のとおった顔は、陽が照り残っているようなつやを見せています。七十は越しているのに髪も黒く、目も切れ長に黒い。その人が少年のように、口もきけず横を見たまま、まっすぐ遠くをみつめている。たぶんあふれてくるものを見せまいと、背筋を張っていたのに違いありません。その姿は木のように素朴で、悲しみがつっ立った感じでした。いきなり横を向かれた私にも、すぐそのことが会得されました。私はちっとも困りませんでした。そして黙って立ちました。隣り合わせた一本の木のように。(中略)
横浜での、心のシャッターチャンスがとらえた一枚のスナップについての、これが簡単な説明です。私はこの無形の写真をときどき思い浮かべると、どうしてか気持ちがほうっとふくらんで、くちびるの辺りがほころびてくる。これをユーモアと名付けてよいものか、どうか。ふだんは礼儀正しい明治の老人が、礼を忘れた姿に、日がたってからとはいえ、私がかすかなおかしみを味わうとしたら、これは第三者の残酷以外のなにものでもないのですが、私にはやはりユーモアと名付けるのがいちばんふさわしく思われます。なめれば甘い、というような単純さで、笑ったからユーモアだ、というのとは別種のもの――。
伊豆の、山家の、炭焼きさんの、という、うたうような語り口。なぜかあの村へ行くと、人々のやりとり、会話にリズムがあるのを
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