1考えてみると、私の家では犬も猫も飼った覚えがない。あとになって、大森に引越してから、家の縁の下に野良犬が仔を生んで、鳴き声に気がついた私が、ある日、縁の下深くまでもぐって仔犬をつかまえ、2飼ってくれと、母親にせがんだことはあったけれど、七、八匹もいた仔犬たちは、母犬がどこかにつれていってしまうのか、それとも盗まれるのか、つぎつぎと姿を消してしまった。3最後の一匹が見えなくなった日は、私は本当に悲しくて、学校から戻ったあと、日がくれるまで近所一帯を一生懸命に探して歩き、疲労と気落ちでしょんぼりして帰宅したあと、夕食もとる気になれず、床に入ってからも長いこと寝つかれなかったのを覚えている。4奇妙なことに、まだ仔犬に対して特別の親近感を抱くようになるだけの時間もたっていないのに、子供の私には、母親は別だとしても、それまで大切だったはずのほかの多くのものよりもはるかに重大な意味をもつ存在になってしまっていたのだ。5どうして、こういうことが、人間の子どもには、可能なのだろうか。私たちのなかの何が、こんな種類の愛情を成立さす力をもっているのだろうか。6とにかく、人間の子供にとっての犬や猫といった小動物たちは、母親のつぎにくる、「愛情の学校」ではないだろうか。私たちは、その学校で、人間同士では味わえない、ある種の純粋な愛の相を経験するのではなかろうか。
7姿を消した仔犬のことで、私がいつまでもあんまり悲しがっているものだから、母親が、ある日東京に出かけたついでに、ひとつがいのチャボを買って来てくれた。8その土産の小さな金物の籠のままではせますぎるので、大工さんを呼んできて、庭の片隅に小屋をつくってもらった。チャボは犬とちがって、愛撫したり、いっしょにそのへんを駆けまわったりできないので、勝手が少しちがったけれど、それでも私はそれなりに可愛いと思った。9こまめに、餌をやったり、小屋を掃除したり、いろいろ世話をした。世話をするのがうれしかった。数日して、巣の中に小さな白い卵のおいてあるのを見た時は、これが本当に私たちの鳥の生んだ卵だとはなかなか信じられなかった。0しかし、卵はその翌日も、巣の中にちょこん
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