a 長文 10.2週 ru2
 私は、長いこと、現代人の「生と死」や「いのち」の問題を、人間一人ひとりが生きている現場、あるいは死にゆく現場で、わが身の問題として見つめ考えてきたものだから、そういう一人の人間の心のなかに投影とうえいされた時代の特質や変化の芽を読み取るほうに、頭が動いてしまう。一人の人間の心に芽生えた小さなことであっても、生身の人間が生きていくうえで重要な意味を持っていたり、時代の変化の兆しを示すものであったりすることが少なくない。「小さな動きの大きな意味」とでも言おうか。
 最近、絵本に関するフォーラムに招かれて参加したら、司会者の児童文学者が、ある雑誌に寄せた絵本についての私のエッセイを取り上げて、『フランダースの犬』などというセンチメンタルな作品を柳田やなぎださんが評価し、その作品に新しい意味を見出したと書いているのは危ないすすめ方だ、と批判した。どうやら、子どもの本というのは、読んで楽しいもの、明るいもの、ファンタジーが広がるものでなければならないと考えているらしい。『フランダースの犬』のあらすじは、こうだ。画家になりたかった主人公の少年ネルロは、貧しさゆえに、これでもかこれでもかと不運な目にあう。最後は住む家もなくなって、吹雪ふぶきの中をさまよい歩き、アントワープの大聖堂に入りこんで飢えう と寒さで死んでしまう。それでもネルロは、死ぬ直前に、大聖堂に掲げかか てある、自分もあのようになりたいと思っていた尊敬する巨匠きょしょうルーベンスの壁画へきがを、一瞬いっしゅん吹雪ふぶきがやんで雲の切れ間からステンドグラス越しご 差し込んさ こ だ月の光によって見ることができた時、「とうとう見たんだ。神様、十分でございます」と言った。わずか十五年の生涯しょうがいだった。
 私は小学校五年から六年にかけて、この物語を何回も繰り返しく かえ 読み、その度になみだを流した。終戦直後の貧困の時代だったことも、この物語への感情移入の要素になったのだろう。その『フランダースの犬』を人生後半になって五十年ぶりに読み直したところ、この物語は、ただかわいそうというのでなく、つらいことや悲しいことの多い、ままならない人生をどう受容するか、そんななかにあって逆境を恨むうら のでなく、肯定こうてい的な意味をどう見出すかについて考えさせてくれるという読み方もできることに気づき、そのことをエッセイに書いたのだった。
 しかし、先の児童文学者は、この物語をセンチメンタルの一語で一刀両断に切り捨てたのだ。
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 私は戸惑っとまど た。少年時代に他者の不幸に悲しみを感じなみだを流すという経験をするのを排除はいじょして、「明るく、楽しく、強く」という価値観だけを押しつけるお    と、その子の感性も感情生活も乾いかわ たものになってしまうと、私は考えているからだ。
 そこで気づいたのは、日本の高度経済成長期以降の歴史は、大人の世界でも子どもの世界でも、「明るく、楽しく、強く」「泣くな、頑張れがんば 」ばかりが強調され、「悲しみ」あるいは「悲しみのなみだ」を排除はいじょ封印ふういんしてきた歴史ではなかったか、ということだった。
 悲しみの感情やなみだは、実は、自らの心を耕し、他者への理解を深め、明日を生きるエネルギー源となるものなのだと、私は様々な出会いのなかで感じる。私と同じ世代のある知人は、小学生時代に『フランダースの犬』に何度となくなみだを流したことが、やがて養護学校の教諭きょうゆとなり、子どもたちの教育に情熱を注ぐようになる原点となったという。
 愛する人や家族を病気や事故で失って悲嘆ひたんにくれる人々が、悲しみを分かち合うための「生と死を考える会」を東京でささやかに発足させたのは、一九八〇年代はじめのこと。九〇年代になると、全国各地に同じような会が続々と生まれ、二〇〇〇年には百を超えるこ  までになった。それは、封印ふういんされてきた「悲しみ」の感情を解放し、「悲しみ」をネガティブ(否定的)にでなくむしろ生きるかてにしようとする新しい市民意識の登場と言うことができる。そして、その市民運動は、終末期医療いりょうのあり方や人々の死生観に影響えいきょう与えあた つつある。
 仏教の慈悲じひの思想は「悲」の心の大切さを説いた。二十一世紀を人間と社会の真の成熟を目指す世紀にするには、「悲しみ」の感情を教育の場でも社会的にも正当な位置に復権させることが必要だと、私は考えている。

柳田やなぎだ邦男くにお「『言葉の力、生きる力』―「悲しみ」の復権―」より)
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