1機会があって最近、電子愛玩犬「アイボ」というものの商品カタログを見た。一言でいえば犬のかたちをしたロボットだが、電子技術の粋をこらしてなかなか精密にできているらしい。2複雑な動作をするのはもちろん、内部に巧妙な信号装置が組みこまれていて、人の態度に反応して喜怒哀楽の感情表現もする。可愛がってやれば快活な性格を身につけ、放置すると拗ねて元気を失うのだという。3かつて流行した「たまごっち」にも似ているが、金属ながら立体的な犬の姿をしているだけに、これは一段と人の愛玩心をそそりそうである。
この新流行を椰楡的に見て、一通りの文明批評をくだすことはいたってたやすい。4たとえば、「たまごっち」の場合もそうだったが、現代人はどうしてこう何かを可愛がりたがるのかと疑ってもよい。そういえば若者のあいだでは「可愛い」という言葉が氾濫して、何にでも無差別にあてはまる褒め言葉として乱用されている。5おそらく現代人は寂しさに耐えかねているのだろうし、そのくせ強いもの、偉大なものには反射的な反感を覚えるのだろう。いつも何かを肌身の近くに置いて、しかもそれを上に立って見下ろしていたいのにちがいない。6世紀の変わり目の「寂しい群集」は自尊心が強くなり、水平的な「他人志向」から垂直的な愛玩志向に移りつつある、など意地悪も言えそうである。
7だが、そういう通り一遍の批評はおいて、もう少しこの現象の深部をのぞきこむと、そこには意外にも、人間心理のかなり重大な問題がかいま見られるようにも思われる。ひょっとするといま、人間の「可愛い」という感情に微妙な変質が生じ、それは現代の生命感の変化に繋がっているかもしれないのである。8一般に人間には対象のなかに自分と同質の生命を感じとる能力があって、この共感によって対象の生命と一体化することを感情移入という。そして犬や花であれ無生物の人形であれ、とくに自分より小さいものに感情を移入したときに、その対象を可愛いと感じるらしい。9そういう感情移入が起こるのは対象の形や性質にもよるが、それ以上に人間の心の側の積極的な能力によっている。現に実際には生命のない人形を可愛いと思うのは、明らかに特定の文化に育てられた心の作用
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