1「木々のきらめき」「夕焼けの美しさ」「人のやさしさ」などの出逢いに感じ、驚いたことはすばらしい経験として、書かれ理解された知識と違って、深く心の中に生きつづける知恵である。2これらとじかに言葉でなく心の奥底でふれるとき、生きている快感、たのしさ、甘美さに陶酔する。そして何物にもかえがたい生への愛着がわく、今一瞬が永遠の時であり、求めていた本当の自分に出会ったような境地がそこにはある。
3重要なのは「感じ」ている自分に自分の「こと」としての状況が重ねられることである。悲しいとき、楽しいとき、疲れて帰路につくとき、絶望に打ちひしがれたとき、といったその時々の「こと」の中で驚き、感じているわけで、これに「いつ」といった流れの年齢、月日がかかわってくる。4紅葉の美しさや花見にしても、月日を重ねるにしたがって、「こと」と「感じ」が連結されて心の深くに生きつづけ、「層」をなしていく。驚いて生きてきたことが重ねられて星霜が生まれ、層となり、木々のきらめきの中に人生の縮図を一瞬にして見ることができる。5その一瞬の厚み、深みの連続が「生」を充実させてゆく。
旅のよさは、日常的な俗世、雑念を取り払った状態で、はじめて出会うキラキラした未知のものにてらし、そこを通り抜け、身を投じて「驚き」を身体化させてくれるところにある。6「感じ」の中で生きる契機を多く持つことができる「場」を与えてくれる。心を日常と異なった「狂」とでもいえる状態におきすべてのすばらしさと深く出会うのである。まだ見ぬ自分の中に宿る自分との出会いである。7上田秋成が「事触れて狂ひあるく」といった芭蕉や、その姿を見ると人々は笑わずにいられない一休の風狂は「反習俗でありながら、日常生活の根本を返照するように働く。風狂には、反俗的奇行や反抗的行動と裏腹に、烈しい悲哀や笑いの感情が共存するが、それらの感情は新しい自己認識として働いている。」
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