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 まねる力は、生きる力の基本だ。おおかみ少女として有名なアマラとカマラが、おおかみの中で生きながらえたのは、おおかみの生活様式をまねる力があったお陰 かげである。アマラとカマラは発見された当時、おおかみのように四つんばいでうなり声をあげていた。物の食べ方も人間というよりはおおかみのようであったという。こうしたおおかみ少女の様子には人間らしさが全く感じられないと指摘してきする人もいるだろうが、私は人間とおおかみという種の違いちが 乗り越えの こ て、相手の生活様式をまねして身につけることができた学習能力に、むしろ人間の能力の器の大きさを感じる。さまざまな異文化社会で生き抜くい ぬ 力が最近よく強調されているが、おおかみの社会でさえも、時に人間は生きぬくことができるのである。そして、その生きる力を支えているのが、まねる力である。
 この場合のまねる力は、明晰めいせきな反省的思考によって捉えとら なおされたものではもちろんない。むしろ、身体と身体のあいだの想像力、すなわち間身体的想像力とでもいうべき力であろう。アニメの『クレヨンしんちゃん』を見た子どもがしんちゃんの独特な口調をまねてしまうので、番組を見せないようにした親もいたようだ。大人でも、広島弁が飛びかう映画『仁義なき戦い』を見終わったときには、すっかり「わしは……じゃけん」といったしゃべり方が移ってしまっている。そうした無意識のうちに身体から身体へと移ってしまうという現象は、人間の適応力の基本となるものだ。
 コンドンという研究者によれば、私たちは会話の最中に、相手の発話に応じて微妙びみょうに身体を動かしているという。とりわけコンドンが注目したのは、相手が発話するほんの百分の数秒前に、聞く側の人間の身体がかすかに動いて先に反応しているという現象であった。これは、人間のレスポンス(応対・対応)能力の高さを示す現象だ。レスポンスは、相手からの働きかけが終わったところから始まるというよりは、それと同時に、あるいはその直前から始まっているのである。こうしたレスポンスの構えは、身体の生き生きとした働きを抜きぬ にしては考えられない。こうした生きて働く身体の力が阻害そがいされたときに、私たちは気が通いあわないという拒絶きょぜつ感を味わうことになる。
 他者の身体の動きが自分の身体の動きに移ってくるという間身体的な力は、人間として、あるいは生物としての基礎きそ的な力である。
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これは、誕生以降の莫大ばくだいなやりとりによって培わつちか れる力である。保育器の中で他者とかかわることなく長期間放置された子どもは、通常の子どもよりもレスポンス能力の弱いことが報告されている。レスポンスすることも、多くの反復練習によって強化される技だと見ることができる。
 かつての徒弟制度では、技は言葉で教えられるというよりは、実際に見てからだで覚えて盗むぬす ものであった。「見習い」期間は、文字どおり見て習う期間であり見取り稽古けいこという言葉もある。「からだで仕事を覚える」という表現は、言葉で説明されるのではなく、見よう見まねで試行錯誤しこうさくごしながら自分の技を身につけていくという意味だ。「からだで仕事を覚える」というのは、かつて職人の仕事の上達法としては当然のことであった。
 こうしたことは、伝統的な職人芸においては、共通して語られるが、現代社会の産業構造からすれば、必ずしも万能というわけではないであろう。しかし、情報が氾濫はんらんする一方で、仕事を見て積極的に自分で技を盗むぬす という構えが希薄きはくになっているという意見をさまざまなところで耳にするようになっているのも事実だ。

齋藤孝著「子どもに伝えたい「三つの力」」より)
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