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 日常会話の中では、「それは常識よ。」と言って片づけてしまうことがよくある。けれども常識ってなんだろう、と改めて考えてみると、それほど簡単な話ではない。
 私は東京で生まれ、育ったので例えば天候などの自然現象を思い浮かべるおも う   場合もおのずと東京付近の様子を頭に描いえが てしまう。冬のどんよりと曇っくも た空から降り続く雪のことは、知識としては理解できても、実感としてつかむのは難しい。恥ずかしいは    話だが、先日、大阪おおさかの友人と話していて、大阪おおさかでは地震じしんがめったにないと聞いて、改めて驚いおどろ た。地形を考えれば納得できることなのだが、つい、自分の経験でものを考えてしまうのだ。
 生物の世界にも、こんな例はたくさんある。私たちは、温度はほぼ四〇度以下、一気圧の空気の中で暮らしている。だから生物は、これに近い環境かんきょうに生息しているものと考える。いや、そういうところでしか生きられないと思っている。ところが、とんでもない。思いもよらないところに住んでいる生物もあるのだ。
 例えば、七〇度以上の温泉の中で生活している細菌さいきんがある。七〇度といえば、ゆで卵のできる温度だから、体が全部固まってしまいそうに思うが、そんなこともなく、ちゃんと増えている。「いい湯だな。」と歌っているかどうかは知らないが、その細菌さいきんは七〇度という温度が好きで、常温よりも活発な活動をする。そのほか、おのような酸の中が好きな細菌さいきんや、濃いこ 塩水の中が好きな細菌さいきんもある。牛乳におを垂らせばたちまち固まってしまうし、キュウリに塩をかければ、外に水がしみ出してくるのでも分かるように、これらの条件は普通ふつうの生物にとってはいや環境かんきょうだ。私たちは、酸素がなくては数分だって生きていられないが、酸素が嫌いきら 細菌さいきんもある。そもそも、大昔の地球には酸素などなかったのだから、当時の生物はみな酸素嫌いきら だったはずだ。
 こうしてみると、常識とはなんとも頼りたよ ないもので、自分とは全く違うちが 立場があることを理解し、常に相対的に見ることが重要である。一方、人間はどうしたって七〇度のお湯の中では生きられないのであり、その意味での自分の常識も大切にしなければならない。この二つをうまく組み合わせていくのが、本当の常識であり、これからはそれが重要になってくると思う。
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 実は、この文を書いてから十五年後の一九九五年一月一七日に阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいが起きた。この友人は大阪おおさかから、転勤してきて、東京は地震じしんの多い恐ろしいおそ   所だから、関西へ帰りたいと言っていた。私など全く気にならない小さな地震じしん恐いこわ と言っていたので、きっと子どものころから地震じしんを体験してこなかったのだろう。ところが、今回の大地震じしん彼女かのじょ芦屋あしやの実家は倒壊とうかいした。
 その後専門家が、今回地震じしんが起きた付近には活断層がたくさん走っていて、いつ地震じしんが起きてもおかしくない状況じょうきょうだったと解説しているのだから、彼女かのじょの常識は誤りだったことになる。なんだか複雑なことになった。
 常識については、科学的知識とその伝達という問題も含めふく てよく考え、もう一度整理しなければならないと思っている。

(中村桂子「生命科学者ノート」より)
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