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 人間としてバランスのよい身体感受性を育てるためには、いろいろな方法があります。子どもの遊びはその一つです。たとえば「ハンカチ落とし」という遊びがあります。内側を向いて円陣えんじんを組み、「おに」がその後ろを周回し、誰かだれ の後ろにハンカチを落とします。それに気がつかずに一周してかた叩かたた れたらその人が次の「おに」というゲームです。
 この遊びはどんな知覚を開発するためのゲームなのでしょうか。
 ハンカチは背後で落とされますから、もちろん目には見えないし、音もしません。ハンカチが空中を落下するときの空気の振動しんどうは「おに」の騒がしいさわ   足音に比べればほとんど知覚不能でしょう。それでもかんのよい子は、ハンカチが地面に落ちる前に、自分の後ろに「おに」がハンカチを落としたことを察知します。いったいこの子は何を感知したのでしょう。
 それは「おに」の心に浮かんう  だ「邪念じゃねん」です。
 「この子の後ろにハンカチを落としてやろう」という、「おに」の心に一瞬いっしゅんきざした「悪意」を感知するのです。
 別にオカルト的な話をしているのではありません。人間はだれでも緊張きんちょうすると心拍しんぱく数が上がり、発汗はっかんし、呼吸が浅くなり、体臭たいしゅうが変化します。恐怖きょうふや不安だけでなく、羨望せんぼうや敵意も、そのような微弱びじゃくな身体信号を発信します(ウソ発見器はその原理を応用したものです)。
 かんのよい子どもは、自分の後ろでハンカチを落とした瞬間しゅんかんの「おに」の緊張きんちょうがもたらすこの微弱びじゃくな身体信号を敏感びんかんに感知することができます。
 ぼくはそれを「邪念じゃねんを感知した」というふうに言っただけです。
 しかし、これはたいへんにすぐれた身体能力開発ゲームだとぼくは思います。というのも、原始の時代においては、ぼくたちの祖先は暗い森の中で、肉食じゅうや敵対的な異族と隣り合わせとな あ  て暮らしていたはずだからです。そのときに、自分を攻撃こうげきしてくるものが発するわずかな身体信号を感知できる個体とできない個体では、ど
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ちらが生存確率が高かったか、考えるまでもありません。ですから、生き延びるためのスキルとして、その当時から、ぼくたちの祖先は、感覚を統御とうぎょし、錬磨れんまするためのエクササイズを「遊び」というかたちで子どもたちに繰り返さく かえ せていたのではないでしょうか。
 「かくれんぼ」というのは、おそらく起源的には狩猟しゅりょうのための感覚訓練であったとぼくは思います。見えないところに、見つからないように隠れかく ているものが発信する微弱びじゃく恐怖きょうふと期待の身体信号、それを感知するための訓練だったのではないでしょうか。
 「鬼ごっこおに   」にせよ「かんけり」にせよ、その種の遊びで子どもに要求されるのは、単に足が速いとか、高いところに上れるというような単純な身体運用能力ではなく、それよりむしろ「気配を察知する」総合的な身体感受性であっただろうと思います。

 (内田樹『疲れつか すぎて眠れねむ ぬ夜のために』)
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