a 長文 6.4週 sa
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 コロンブスの時代じだい、人々はまだ、地球ちきゅうが丸いとは思っていませんでした。そのころ、ヨーロッパ諸国しょこくは、貿易ぼうえきを行いキリスト教を広めるため、さかんに船で東方にあるアジア進出しんしゅつ目指しめざ ていました。この時代じだいを大航海こうかい時代じだい呼んよ でいます。
 イタリア生まれのコロンブスは、東を目指すめざ 人々とは異なること  考えを持っも ていました。かれは、地球ちきゅうが丸いことを信じしん ていました。アフリカの南をまわってアジアを目指すめざ よりも、大西洋たいせいようを西へ進んすす だほうが、ずっと早くアジアにたどり着ける   つ  はずだと考えたのです。もう一つ、コロンブスに航海こうかい決心けっしんさせたものがあります。それは、マルコ・ポーロの「東方見聞ろく」でした。そこに書かれていた、黄金の国ジパング(日本)は、ヨーロッパの人のあこがれのまとでした。かれはスペインの女王の援助えんじょ受けう 、サンタ・マリアごう乗っの て、西回りでアジアに行く計画を実行じっこうすることになりました。
 このとき、コロンブスが要求ようきゅうしたことは、もしインドを見つけたらそのたからの十分の一を自分がもらうこと、発見はっけんした土地の総督そうとくになること、スペインの貴族きぞくになることなどでした。当時、遠洋えんよう航海こうかいには莫大ばくだい資金しきん必要ひつようでした。このため、イギリスやフランスは、コロンブスの提案ていあん受け入れるう い  ことができませんでした。コロンブスにとってもスペインの女王にとっても、航海こうかいは大きな賭けか だったのです。
 サンタ・マリアごう乗組のりくみいんたちは、地図にも載っの ていない未知みち海域かいいきへと航海こうかいに出ました。そして、二か月以上いじょう航海こうかいて、ようやく陸地りくちを見つけることができたのです。コロンブスの考えでは、そこはアジアのはずでした。
 地球儀ちきゅうぎを見るとわかりますが、ヨーロッパから西に向かっむ  大西洋たいせいよう横断おうだんすると、巨大きょだいアメリカ大陸    たいりくにぶつかります。アメリカ大陸    たいりく越えこ て広い太平洋たいへいよう横断おうだんしなければ、アジアに
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到着とうちゃくすることはできません。実際じっさい地球ちきゅうは、コロンブスが考えているより、ずっと大きかったのです。
 アメリカ大陸    たいりく存在そんざいを知らなかったのですから、コロンブスが新大陸しんたいりくをアジアだと思ったのも無理むりはありません。コロンブスは、上陸じょうりくした島々しまじまに名前をつけ、スペインの領土りょうどとしました。
 当時、インドという言葉ことば漠然とばくぜん アジア全体ぜんたい指すさ 言葉ことばとしても使わつか れていました。アメリカ大陸    たいりくにもともと住んす でいた人々を、コロンブスはインドの人という意味いみでインディオスと呼びよ ました。
 スペインに帰ったあと、かれ発見はっけんはたいへんな評判ひょうばんになりました。かれは一生、自分が発見はっけんした陸地りくちをアジアだと信じしん ていたそうです。
 コロンブスのタマゴの話は有名ゆうめいです。この話を聞いて、ある人が同じようにタマゴを立てようとすると、タマゴはうまく立たずに、コロン。その人はブスっとしていたそうです。はい、縮めちぢ て言うと、コロン。ブス。

 言葉ことばの森長文ちょうぶん作成さくせい委員いいん会(κ)
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長文 6.4週 saのつづき
 七五三というのは年のことですが、実際じっさいは六さいや四さいお祝い いわ をすることがあります。七五三の年は、数え年というもので、実際じっさいの年より一つか二つ上になります。どうしてこういう年の数え方をするのでしょう。
 今は誕生たんじょう日がくると一つ年をとる満年齢まんねんれい普通ふつうです。しかし、むかしはそうではありませんでした。新しい年がくると、みんないっせいに一つ年をとったのです。
 お年玉というのは、もともと年のたましいのことで、お正月に年のたましいであるおもちを食べて、年を一つとったというわけです。
 この数え年の考え方は東洋とうようのもので、西洋せいようではむかしから今のような満年齢まんねんれいの数え方でした。西洋せいようでは、赤ちゃんが生まれてきたときから、年齢ねんれいを数えます。しかし、日本では、お母さんのおなかにいるときから赤ちゃんの年齢ねんれいを数えるため、生まれた瞬間しゅんかんに一さいとしました。もし、十二月三十一日に生まれたとしたら、その赤ちゃんは生まれたときにもう一さいです。そして、つぎの日に元旦がんたん迎えるむか  と、すぐに二さいになるのです。
 だれもが同じ一月一日に一つ年をとるというのは、それだけ年が改まるあらた  お正月の意味いみが大きかったからなのかもしれません。
 今の満年齢まんねんれいの数え方になったのは、だい世界せかい大戦たいせん後のことです。生まれた日から数える満年齢まんねんれいの考え方は、それなりに正確せいかく実用じつようてきです。しかし、お正月におもちを食べていっせいに年をとった古き時代じだいのやり方には、等しくひと  いのち大事だいじにする文化ぶんかがあったように思えます。
 お正月は、お雑煮ぞうにのおもちを食べながら、モチっと日本の文化ぶんかについて考えてみるのもいいかもしれません。

 七五三は、三さいさいさいお祝い いわ をします。どうして、年齢ねんれいじゅんに三五七と言わないかというと、つぎのようなことがあるからです。
「えーと、そろそろうちの子も、あれだな。あの三五、えーと三五……」
「十五でしょ」
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