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 わたしたち日本人にとって、海苔のりはとてもなじみ深いふか ものですが、外国の人たちにはそうでもないようです。
 明治めいじ時代じだいに日本にやってきた西洋せいよう人は、「日本人は黒い紙を食べる」と言って不思議ふしぎがったようですが、今でも海苔のり苦手にがてな外国人は多いようです。外国人のパーティーに、巻きずしま   を作って持っも ていったら、その美しうつく さには感心かんしんされたが、海苔のりをはがして食べるので、せっかくの巻きずしま   がぐちゃぐちゃになってしまったという話も聞きます。どうして海苔のりをはがしたのかというと、「かわだと思った」のだそうです。
 あまり知られていませんが、二月六日は「海苔のりの日」です。なぜこの日が「海苔のりの日」になったのかというと、今から千三百年くらい前の日本最古さいこ法律ほうりつである「大宝たいほう律令りつりょう」が広められた日だからです。奈良なら時代じだいのすぐ前、飛鳥あすか時代じだい終わりお  ごろのことです。その「大宝たいほう律令りつりょう」の中には、朝廷ちょうてい納めるおさ  税金ぜいきんとして、二十九種類しゅるい海産物かいさんぶつがのっていました。そのうち八種類しゅるい海藻かいそうで、その中の一つが海苔のりでしたが、その海藻かいそうの中でも、海苔のりは一番の高級こうきゅうひんでした。
 その後の時代じだい海苔のり貴重きちょうひんとして扱わあつか れてきましたが、ただ、このころ食べられていたのは生海苔のりで、今わたしたちが食べているような乾物かんぶつ海苔のりではありませんでした。のちに、江戸えど時代じだいになってから、浅草あさくさで紙の漉きす 方にヒントをた「漉きす 海苔のり」が登場とうじょうし、「浅草海苔あさくさのり」として全国ぜんこくに広まりました。このころ海苔のり巻きま も大流行りゅうこうし、人気の食べ物た ものとなったようです。
 海苔のり養殖ようしょく江戸えど時代じだいから始まっはじ  ていましたが、まだ失敗しっぱいも多く、海苔のり生産せいさん不安定ふあんていで、値段ねだん一定いっていしませんでした。しかし、昭和しょうわ二十四年、イギリスのドゥルー女史じょしが、海苔のりの一生を細かく調べるしら  ことに成功せいこうしました。この知識ちしきもとに、ようやく海苔のりは人工てき養殖ようしょくできるようになったのです。
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 海苔のりのサイズは、切る前の基本きほんとなる「全形ぜんけい」がよこ十九センチメートル、たて二十一センチメートルという、とても中途半端ちゅうとはんぱなサイズに統一とういつされています。これを、かくメーカーが色々な枚数まいすうにカットして、食べやすい大きさにして売っています。このサイズは、海苔のり漉くす ときに使わつか れていた木わくのサイズの名残なごりなのです。
 海苔のりを作るときには、紙を漉くす ときのようにこのの上にどろどろになった生海苔のりをすくいとり、乾かしかわ  て作ります。乾いかわ たらやはり紙のように、このをぺりっとはがしてできあがりです。だから、のりは乾かしかわ  たときの表面ひょうめんにあたるひょうがつるっとしていて、からはがした裏面りめんがでこぼこになっているのです。

 言葉ことばの森ちょう作成さくせい委員いいん会 τ
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