1「あつっ。」
ぼくは、思わず指を引っ込めました。しかし、後ろを向いている母には気付かれませんでした。今夜は、ぼくの大好物の鳥の唐揚げです。あつあつの鳥が並ぶお皿から食欲をそそる香りが漂ってきます。
2ぼくは、思わず手を伸ばしてしまったのですが、揚げたてだったせいで、人差し指にやけどをしてしまいました。ぼくは何食わぬ顔で、そっと洗面所へ行き、指を流水で冷やしました。母は何も知らずに、揚げ物を続けています。
3その唐揚げは、ぼくが下味をつけるのを手伝ったのです。ショウガやニンニクをすりおろしたり、酒やしょうゆを入れたり、片栗粉をまぶしてなじませたりするのがぼくの仕事でした。だから、どんな味に仕上がったか確かめたかったのです。
4ぼくは、指が冷たくなるまで冷やすと、再びキッチンに向かいました。さっきの唐揚げは食べごろに冷めているはずです。のれんをあげて、テーブルに目をやると、
「あ、あれ? ないっ。」
唐揚げのお皿はなくなっていました。
5「鳥を取り上げないでえ。」
とぼくは、言いそうになりましたが、がまんして、冷静にまわりを見渡しました。なんと、お皿は母の横のレンジ台に移動していました。ぼくは、まだ食べていないのにと心の中で叫びました。
6母はニヤッとして、菜ばしではさんだ鳥を振って油を切りながら、
「残念でした。」
と言いました。さらに、
「水ぶくれにならなかった?」
と聞きました。ぼくは、さっきのつまみぐい未遂を母は知っていたのだなあとあせりました。
|