ダーウィンのお父さんとおじいさんは、医者でした。ダーウィンも最初は大学の医学部に入れられて勉強をしていました。しかし、ダーウィンは、成績が悪く、やる気が見られませんでした。見かねたお父さんは、ダーウィンを医者にすることをあきらめて、牧師になるための大学に入れなおしました。しかし、ダーウィンはここでも牧師の勉強には関心がなく、博物学という動物や植物の勉強にばかり夢中になっていました。
やっと大学を卒業したダーウィンは、今度は海軍の測量船に乗って世界中を見て回ることにしました。お父さんは、船で世界一周することなどはもちろん大反対です。しかし、周りの人の助けも借りて何とかお父さんを説得したダーウィンは、それから五年間、ビーグル号に乗って世界中を探検しました。
南米のガラパゴス諸島で、ダーウィンは不思議なことに気づきました。ガラパゴス諸島の島と島の間には速い海流が流れていて、動物たちが行き来することができません。そのような閉ざされた島にすむ動物たちは、島ごとに姿形が変わっていたのです。例えば、ヒワという鳥のくちばしが、ある島では昆虫を食べるのに都合よくできているのに対し、ほかの島では植物を食べるのに都合よくできているというようなことです。
ダーウィンは、この観察をもとに、自然淘汰という考えを作り上げました。つまり、それぞれの環境に適したものが生き残り、適さないものが淘汰されることによって、だんだんと種が進化していくという考え方です。
当時の人々は、生物の種は神様が作ったもので最初から完全な形であり、進化することなどはありえないと考えていたので、ダーウィンは多くの人から批判されました。更に、ダーウィンが、進化論を人間にあてはめて、「人間もサルから進化した」と述べると、
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