1エジソンの工場は、まるで、電気機械の発明工場でした。よいことをかんがえつくと、エジソンを中心に、工場の全員がそれに力をいれます。
「エジソンの工場のとけいには、針がなかった。」ということばがあります。2つまり、その工場では、みんな、時間をわすれてはたらいたのです。
エジソン自身が、時間などからはなれてしごとにうちこむ人でした。六十時間ぶっつづけでしごとにとりくんだことさえあります。3みんな、エジソンをそんけいしていましたから、だれ一人もんくをいうものはなかったのです。
エジソン工場の一室に、そこをかりて実験室にしている発明家がいました。4かれは助手を一人つかっていましたが、この助手のはたらきぶりは、じつにたいへんなものでした。
エジソンは、ある日、この助手を、そっとよびました。
「きみ、いまいくらではたらいていますか。」
「週二十一ドル五十セントです。」
5「どうだろう。六十ドルだすが、わたしのところの工場かんとくにきてもらえないだろうか。」
男はためらいました。
「さあ、……わたしにつとまるかどうか……。」
しかし、エジソンは、むりやりにしょうちさせて、二つの工場をかんとくさせました。
6「わたしは、これほどの実行力のある人を見たことがない。」
と、エジソンはかたっていますが、かれは三か月のうちに、工場の生産を二ばいにあげてしまいました。べつに、あたらしい機械や人手をふやしたわけではありません。7ただ、機械をはやくつかうことを実行したのです。
まだ二十五さいのエジソンでしたが、もう、これだけ、人を見ぬく力をもっていたのです。そうして、かれとその工員たちは、つぎつぎに発明し、それを、つぎつぎに製品にして、町におくりだしたのです。
8アメリカの特許局では、エジソンのことを、「特許局への道があつくなるほどやってくる青年」とよびました。はじめて特許を
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