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 エジソンの工場は、まるで、電気機械きかい発明はつめい工場でした。よいことをかんがえつくと、エジソンを中心に、工場の全員ぜんいんがそれに力をいれます。
「エジソンの工場のとけいには、はりがなかった。」ということばがあります。つまり、その工場では、みんな、時間をわすれてはたらいたのです。
 エジソン自身じしんが、時間などからはなれてしごとにうちこむ人でした。六十時間ぶっつづけでしごとにとりくんだことさえあります。みんな、エジソンをそんけいしていましたから、だれ一人もんくをいうものはなかったのです。
 エジソン工場の一室に、そこをかりて実験じっけん室にしている発明はつめい家がいました。かれは助手じょしゅを一人つかっていましたが、この助手じょしゅのはたらきぶりは、じつにたいへんなものでした。
 エジソンは、ある日、この助手じょしゅを、そっとよびました。
「きみ、いまいくらではたらいていますか。」
「週二十一ドル五十セントです。」
「どうだろう。六十ドルだすが、わたしのところの工場かんとくにきてもらえないだろうか。」
 男はためらいました。
「さあ、……わたしにつとまるかどうか……。」
 しかし、エジソンは、むりやりにしょうちさせて、二つの工場をかんとくさせました。
「わたしは、これほどの実行じっこう力のある人を見たことがない。」
と、エジソンはかたっていますが、かれは三か月のうちに、工場の生産せいさんを二ばいにあげてしまいました。べつに、あたらしい機械きかいや人手をふやしたわけではありません。ただ、機械きかいをはやくつかうことを実行じっこうしたのです。
 まだ二十五さいのエジソンでしたが、もう、これだけ、人を見ぬく力をもっていたのです。そうして、かれとその工員こういんたちは、つぎつぎに発明はつめいし、それを、つぎつぎに製品せいひんにして、町におくりだしたのです。
 アメリカの特許とっきょきょくでは、エジソンのことを、「特許とっきょきょくへの道があつくなるほどやってくる青年」とよびました。はじめて特許とっきょ
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申請しんせいした一八六八年から、一九一〇年の夏までに、エジソンの名でだされた特許とっきょねがいが千三百二十八。へいきんすると一年間に三十二、つまり、十一日ごとに一つの発明はつめいが生まれていたことになります。
 いちばんはげしかったのは、一八八二年でした。その一年間に、特許とっきょねがいが百四十一、許可きょかされたのが七十五。計算すると、三日に一つの新発明はつめいが生まれたことになります。

(「エジソン」 崎川さきかわ範行のりゆきちょ 講談社こうだんしゃ 火の鳥伝記でんき文庫ぶんこより)
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