a 長文 11.4週 su2
 学問がくもん神様かみさまとして知られている天神てんじんさまは、平安へいあん時代じだいに生きた文人、菅原道真すがわらのみちざねのことです。
 道真みちざねは、すぐれた学者がくしゃ、文学しゃ、そして政治家せいじかでもありました。幼いおさな ころから優秀ゆうしゅうで、五さい和歌わか詠んよ だとされています。難しいむずか  試験しけんにも若くしてわか   合格ごうかくし、当時の天皇てんのうにたいそう気に入られて、家柄いえがらからすると異例いれい出世しゅっせをしました。ところが、この出世しゅっせ周囲しゅういのねたみを買い、告げ口つ ぐちによって北九州きたきゅうしゅう追いやらお   れてしまいました。
 道真みちざねみやこ去るさ ときに詠んよ だ歌は、よく知られています。
 東風こち吹かふ ば にほひおこせようめの花 あるじなしとて 春な忘れわす 
「なじみのうめの花よ、春を告げるつ  風が吹いふ たなら、いつものように咲いさ てそのかぐわしい香りかお を遠くに流さなが れたわたしにまで送っおく ておくれ。わたしがいないからといって春を忘れわす てはいけないよ」という意味いみです。
 道真みちざね失意しついの中、二年後に亡くなりな   ました。その死後しごみやこではさまざまな異変いへん起こりお  ました。道真みちざね陥れおとしい 政治家せいじかたちが次々つぎつぎ亡くなりな   疫病えきびょうがはやり、かみなり宮中きゅうちゅう落ちお ました。人々は道真みちざね怨霊おんりょうのしわざだと恐れるおそ  ようになりました。そして、その怒りいか 鎮めるしず  ために北野天満宮てんまんぐうが作られたのです。こうして道真みちざね神様かみさまとして祀らまつ れるようになりました。
 その後、道真みちざねは、学問がくもん神様かみさま天神てんじんさまとして信仰しんこう集めるあつ  ようになっていきます。庶民しょみんの間で学問がくもん神様かみさまとしての信仰しんこうが広まったのは、江戸えど時代じだい寺子屋てらこやがさかんになったころでした。寺子屋てらこやには必ずかなら 天神てんじんさまぞう掲げかか られていました。毎月の天神てんじんさま縁日えんにちには、寺子屋てらこや生徒せいとたちが近所きんじょ神社じんじゃお参り まい することになっており、正月のはつ天神てんじんの時の行事ぎょうじは、父兄参観さんかん文化ぶんかさいといったような
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

大きなイベントでした。このころから、今の合格ごうかく祈願きがん神様かみさまとしての性格せいかく定まっさだ  てきたようです。
 早い春のころ、北野天満宮てんまんぐうにはたくさんのうめの花が香りかお 高く咲きさ ます。ちょうどその時期じき受験じゅけんシーズンで、多くの人々が訪れおとず ます。「学問がくもんに王道なし、日頃ひごろからまじめに勉強べんきょう取り組むと く ほか、道ざ、ねぇ」と、天神てんじんさまわたしたちを見守っみまも てくれているかもしれません。

 言葉ことばの森長文作成さくせい委員いいん会 α
 666564636261605958575655545352515049484746454443424140393837363534