1学問の神様として知られている天神様は、平安時代に生きた文人、菅原道真のことです。
道真は、すぐれた学者、文学者、そして政治家でもありました。2幼いころから優秀で、五歳で和歌を詠んだとされています。難しい試験にも若くして合格し、当時の天皇にたいそう気に入られて、家柄からすると異例の出世をしました。ところが、この出世が周囲のねたみを買い、告げ口によって北九州に追いやられてしまいました。
3道真が都を去るときに詠んだ歌は、よく知られています。
東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
4「なじみの梅の花よ、春を告げる風が吹いたなら、いつものように咲いてそのかぐわしい香りを遠くに流された私にまで送っておくれ。私がいないからといって春を忘れてはいけないよ」という意味です。
5道真は失意の中、二年後に亡くなりました。その死後、都ではさまざまな異変が起こりました。道真を陥れた政治家たちが次々と亡くなり、疫病がはやり、雷が宮中に落ちました。6人々は道真の怨霊のしわざだと恐れるようになりました。そして、その怒りを鎮めるために北野天満宮が作られたのです。こうして道真は神様として祀られるようになりました。
7その後、道真は、学問の神様、天神様として信仰を集めるようになっていきます。庶民の間で学問の神様としての信仰が広まったのは、江戸時代の寺子屋がさかんになったころでした。8寺子屋には必ず天神様の像が掲げられていました。毎月の天神様の縁日には、寺子屋の生徒たちが近所の神社にお参りすることになっており、正月の初天神の時の行事は、父兄参観の文化祭といったような
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