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 一万年あまり前、人間の前に、大きな悲劇ひげきがせまってきました。運命が、はじめて、人類じんるいに対して、冷たくつめ  をむけたのです。
 原因げんいんは、地球の気候きこう変化へんかです。多くの地方で、温度がどんどんあがりはじめました。氷河ひょうがは、後退こうたいしていきます。気候きこう変化へんかは、植物に大きな影響えいきょうをあたえました。植物を食べて暮らしく  ている動物たちも、当然とうぜん、大きな影響えいきょうをうけます。
 そのころ、地球上には、やく百万人の人間が暮らしく  ていたろう、と推定すいていする学者がいます。今日の地球上の人口からみれば、五千分の一という数です。
 しかし、彼らかれ は、有能ゆうのう狩人かりゅうどでした。肉食を主にする生きものとしては、すでにその数は、他の肉食じゅう比べくら 異常いじょうなほどに多くなりつつありました。
 彼らかれ 有能ゆうのうさの秘密ひみつは、石やり石斧せきふ棍棒こんぼうなどを使い、集団しゅうだんで行動することでした。寒い草原にすむ大形の草食じゅう、マンモスやトナカイに対して、とくにその戦法せんぽう有効ゆうこうだったのです。しかし、狩猟しゅりょう方法ほうほう発達はったつするにつれて、マンモスたちは人間に圧迫あっぱくされていきます。そこに気候きこう変化へんか加われくわ  ば、大形じゅうはどんどん姿すがたを消していくのです。人間の狩猟しゅりょうほうはますます有効ゆうこうになっていくのに、頼りたよ にしていた獲物えものが、いなくなってしまいました。
 多くの人が飢え死にう じ しました。それでも、人類じんるい滅びほろ ませんでした。マンモスのように地球上から消滅しょうめつしてしまう前に、新たな生きる道を見出していったのです。
 人間という生きものが、その内に秘めひ ている多様せい、それが、人間を救いすく ました。
 自分をとりまく状態じょうたい変われか  ば、それに応じおう て自分も変わるか  ことができる。いわば、何でも屋の人間のしぶとさです。
 (中略ちゅうりゃく
 多様な新しい暮らしく  方のなかでも、とくに大切なのは、植物を食べる、という生き方でした。のちになって、人間の生活に大きな
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革命かくめいをひきおこすが、そのなかで育っていったからです。
 もともと、人間は、肉を食べるあいまに、食べやすい木の実、果実かじつをつまんでいた、と思われます。しかし、肉がなかなか手に入りにくくなり、植物に頼ったよ て生きていくというのは、さぞかし大変たいへんなことだったにちがいありません。
 葉を食べて栄養えいようとするのは、人間の身体にとって無理むりでした。木の実や、木の根っこには、しばしばどくがありました。草の実、たねは、かたいからにおおわれていて、そのままでは食べても消化しません。
 わたしは、アフリカの奥地おくちで、固くかた なったトウモロコシのつぶを、二つの石を使ってこなにして食べている人々の暮らしく  を見ました。そのままではダメなものを、こな変えか て食べる。これも大変たいへん知恵ちえです。それにしても、挽臼ひきうすを知らない人々の労働ろうどうのなんとつらいことか。一食分のトウモロコシをこなにするのに、女性じょせいは一日の半分近くを使っていました。
 当時の人々の遺体いたいの多くは、やせていました。マンモスがいたころの人々の遺体いたいに、栄養えいようの取りすぎのあとがのこっているのとは、まさに正反対です。また、草のたねにふくまれている糖分とうぶんのせいでしょう。虫歯がふえてきました。
 きびしい生活のなかで、人間の内に秘めひ た研究心が活動しはじめます。かつて、マンモスの行動を観察かんさつし、その弱点をついて成功せいこうした人間が、今度は、食べられる植物に、鋭いするど 目をむけていきます。
 人類じんるいが、はじめて農業という新しい生活方法ほうほうをあみ出した西アジア、いわゆるオリエントには、ムギが野生していました。アジアの山岳さんがく地帯ちたいでは、イネの祖先そせんが、野生していました。そのほか、中国のアワ、アメリカ大陸    たいりくのイモやトウモロコシなど、まとまって収穫しゅうかくすることができ、栄養えいよう豊富ほうふな野生の植物に、当時の人間は注目して行ったのです。
 (羽仁はに進『羽仁はに進の世界歴史れきし物語』)
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