a 長文 4.2週 ta2
 道のはじまり
 それはすばらしいことでした。以前いぜん人々が狩りか をしてくらしていた時代には、一つの山に動物がいなくなると、人々はべつの山へと移動いどうしなければなりませんでした。えもののない日は十日でもニ十日でも、食事をせずに、食糧しょくりょうをさがし歩かなければなりませんでした。
 ところが、いまではちがいます。一つの水田はよく年も、そのまたよく年も、きちんきちんと実りをあげてくれました。畑でとれた作物は、長く保存ほぞんすることもできました。雪にうもれた季節きせつにも、梅雨つゆの長雨の季節きせつにも、人間は安心してその土地で、くらすことができました。
 畑しごとのない日には、べつのしごとをすることもできました。はたおりをして、着物をつくることもできました。わらしごとをして、わらじやむしろや、なわをつくることもできました。農作業の道具をつくったり、どうしたらお米がたくさんとれるようになるかと、みんなでゆっくり考えあう、ゆとりもできていきました。
 畑をたがやすということは、それほどすばらしいことでした。一つの土地にすみつくということは、たいへん幸せなことでした。家と畑とをむすぶ道は、こうして毎日ふみかためられていきました。家と畑とをむすぶ道も、しっかりつくられていきました。
 お米がたくさんとれるようになると、あまったお米は、べつの物と交換こうかんすることができました。漁村ぎょそんでとれた海のさかなと交換こうかんすることができました。山村でおられたぬのと、交換こうかんすることができました。村と村とをつなぐ道も、こうしてつくられていきました。
 お米がたくさんとれるようになると、十人の人をやしなうのに、八人が畑へしごとにでれば、すむようになりました。あとの二人はべつのしごとにつくことができました。武士ぶしになったり、坊さんぼう  になったり、貴族きぞくや学者や技術ぎじゅつ者になることができました。そして、商人になることもできました。こうして都市ができました。大きな都がつくられていきました。物と物との交換こうかんは、さらに活発になりました。人と人との行き来もしだいにさかんになりました。
 ちがった土地の人たちが、たがいに交流しあうようになると、ちがったくらしのちえも交換こうかんされました。くらしの技術ぎじゅつはさらに進歩
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していきました。
 技術ぎじゅつがすすむと、さらにたくさんのお米がとれるようになりました。物と物との交換こうかんも、ちえとちえとの交換こうかんも、いっそう活発になりました。道はいよいよたいせつなものになりました。道をつくる技術ぎじゅつも、物をはこぶ技術ぎじゅつも進歩していきました。でこぼこ道がたいらになっていきました。広い道がつくられるようになりました。荷車もとおれるようになりました。そこで交通は、もっと活発になりました。
 人類じんるいの文明は、そのようにして発達はったつしてきたのでした。道のはたらきは、そのようにしていよいよ重要じゅうようになってきたのでした。
 では道は、人が使わなくなったとき、どうかわっていったでしょうか。大むかし人々がまだけものを追ってくらしていた時代には、そこにけものがいなくなれば、人間はべつの山へと移動いどうしていきました。人の使わなくなった古い道は、いつか土にうもれてしまいました。草ぼうぼうになり、ジャングルのように木がしげって、もうあとかたもなくなってしまいました。
 そうです。道はいつの時代にも、人間がそこをとおってこそ道でした。どんなにりっぱな道をつくっても、人間がそこをとおらなくなったとき、道はあれはてはい道になっていきました。江戸えど時代に、にぎやかに人の行き来した街道かいどうも、明治めいじにはいって鉄道ができだれもが使わなくなると、とたんにさびれていきました。また、山のむこうがわとこちらがわとをむすんでいたとうげの道も、りっぱな自動車道がトンネルでつうじると、しだいしだいにわすれられていきました。
 
 「道は生きている」(富山とみやま和子)講談社こうだんしゃ青い鳥文庫より
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