a 長文 5.1週 ta2
 ちえくらべ
「人々をすくうには、くさり戸(地名)の大岩にトンネルをほるしかない。」
 禅海ぜんかいはそう思いました。村々をまわって、村の人たちに協力きょうりょくしてくれるようたのみましたが、だれも本気にしてはくれません。
「あの大岩にあなをあけるなんて、できるはずがない。」
「あのぼうさんは大ぼらふきだ。」
「気がへんだ。」
と、村の人たちはわらうばかりでした。
「しかたがない。それならば一人でほっていこう。」と、禅海ぜんかいは心にきめました。石工いしくの使う「のみ」と「つち」を手にいれると、力いっぱいつちをふりました。岩はほんのひとかけら、かけただけでした。朝からばんまでぜん海は、つちをふりました。くる日もくる日も岩をきざみつづけました。雨の日も風の日も手を休めませんでした。村の人たちはわらいました。
「いよいよほんとうに気がくるった。」
 一年がたちました。岩にはほんのわずかのくぼみができただけでした。村の人たちはまたわらいました。
「一年間ほりつづけて、たったあれだけか。」
 それでも禅海ぜんかいはやめませんでした。くだかれる岩はほんのひとかけらです。しかし、心をこめてきざんでいけば、岩もまたかくじつに、それにこたえてくれるのです。一生かかるかもしれません。完成かんせいしないで死んでしまうかもしれません。それでもじぶんはほりつづけるのだと、禅海ぜんかいはかたく決心していました。
 三年たち、四年たちました。人々はもうわらいませんでした。あなの入り口に、そっと食事をおいてくれるようになりました。しかしそれで、トンネルができようとは、だれも信じしん ませんでした。大岩の長さは百メートル近くもあります。それなのにほったあなは、まだ数メートルです。「きのどくなぼうさんだ。」と、人々は思ったのです。
 十年たちました。二十年になりました。
 禅海ぜんかいはねるまもおしんで、つちをふるいつづけました。暗い岩の中ですわりつづけているので、目も見えなくなりました。足もたたなくなりました。着物はぼろぼろになり、からだはほねと皮ばかりにやせこけて人間かどうかわからないようなすがたになりまし
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た。けれど、どうでしょう。トンネルは、もう半分ほどにほりすすんでいたのです。
 人々の目は、おどろきにかわっていました。それまで、あざわらっていたことを深くはじるようになっていました。人々は考えこんでしまったのです。「たった一人でも、あれだけのことができるのだ。みんなで力をあわせてほっていけば、ほんとうにトンネルができるかもしれないぞ。」と。
 こうしていつか人々も協力きょうりょくするようになりました。お金をだしあって石工たちをよびあつめ、おおぜいで岩にとりくんでいったのです。そしてある日のことです。まっ暗な岩あなに、とつぜん光がさしこみました。トンネルがぬけたのです。岩にぽっかりとあながあき、山国川やまくにがわの流れが、むこうがわに見えました。それは、禅海ぜんかいがほりはじめてから三十年目のことでした。
 禅海ぜんかいが、のみ一本でつくったこのトンネルは、「青ノ洞門どうもん」とよばれています。長さ八十五メートル、はば三・六メートル、高さ二・七メートルのりっぱなトンネルでした。禅海ぜんかいは死ぬと、土地の人たちに手あつくほうむられました。

 「道は生きている」(富山とみやま和子)講談社こうだんしゃ青い鳥文庫より
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