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 道はやさしい道でした
 いまの道は、歩く人には、たいへんきびしい道ですね。あっちを見たり、こっちを見たり、きょろきょろしたりしなければ、自動車がこわくて歩けません。いちばん強い自動車がいちばん大いばりで走っています。弱い歩行者は道のすみで、小さくなって歩いています。
 歩道橋をつくっても、お年よりや病人やからだの不自由ふじゆうな人や、うば車のお母さんはとりのこされてしまいます。いまの道は、弱い立場の人たちのことを、わすれているようです。
 でも、むかしの道はちがいました。弱い人たちにとてもやさしい道でした。
 東京の愛宕山あたごやまの神社のおまいりの坂道は、石段いしだんが急なことで知られています。とちゅうでうしろをふりかえったりすると、目がくらみ、足がすくんでしまいます。よほどの勇気ゆうきをださないと、のぼれない坂道です。ところがその近くにもう一つ、べつの道がつけられてありました。すこし遠まわりになるけれども、ずっとゆるやかな坂道です。そして、このゆるやかな坂道には「女坂」、急な坂道のほうには「男坂」と名まえがつけられてありました。
 なぜ、べつにもう一つ、ゆるやかな道をこしらえたのでしょう。それは、むかしの人たちのやさしい心づかいからでした。神社におまいりをしたいのは、足のじょうぶな人ばかりとはかぎりません。女性じょせいもいれば、お年よりも、子どもたちもいます。からだの弱い人もいます。からだの弱い人たちこそ、じょうぶになるようおまいりをしたいのです。そのような人たちも安心してのぼれるよう、わざわざまわり道をこしらえたのでした。
 東京の上野駅の近くには、湯島天神ゆしまてんじんがあります。天神さまは、菅原道真すがわらのみちざね公をまつった学問の神さまの神社です。ですから受験生じゅけんせいたちは、「しけんに合格ごうかくしますように。」と、おおぜいおまいりにやってきます。この湯島天神にもゆるやかな女坂がつくられています。
 女坂は江戸えど時代に、日本じゅうのあちこちの神社やお寺につくられていきました。おまいりの旅がブームになり、女性じょせいも子どももお年よりも、だれもがおまいりにでかけるようになったとき、弱い人たちのことをみんなで考えあうようになったのです。
 いまでも、女坂がのこされているところが少なくありません。
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でも中には自動車のための道にかわってしまったところもあります。ひょっとしたら、あなたもどこかで女坂を見たことがあるのかもしれません。それともあなたの見た女坂は、もう、いまでは自動車道にかわってしまっているのかもしれません。むかしの人たちの道づくりのやさしい心を、いまのわたしたちももう一度、見なおす必要ひつようがありますね。

 「道は生きている」(富山とみやま和子)講談社こうだんしゃ青い鳥文庫より
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