道はやさしい道でした
1いまの道は、歩く人には、たいへんきびしい道ですね。あっちを見たり、こっちを見たり、きょろきょろしたりしなければ、自動車がこわくて歩けません。いちばん強い自動車がいちばん大いばりで走っています。弱い歩行者は道のすみで、小さくなって歩いています。
2歩道橋をつくっても、お年よりや病人やからだの不自由な人や、うば車のお母さんはとりのこされてしまいます。いまの道は、弱い立場の人たちのことを、わすれているようです。
でも、むかしの道はちがいました。弱い人たちにとてもやさしい道でした。
3東京の愛宕山の神社のおまいりの坂道は、石段が急なことで知られています。とちゅうでうしろをふりかえったりすると、目がくらみ、足がすくんでしまいます。よほどの勇気をださないと、のぼれない坂道です。ところがその近くにもう一つ、べつの道がつけられてありました。4すこし遠まわりになるけれども、ずっとゆるやかな坂道です。そして、このゆるやかな坂道には「女坂」、急な坂道のほうには「男坂」と名まえがつけられてありました。
なぜ、べつにもう一つ、ゆるやかな道をこしらえたのでしょう。5それは、むかしの人たちのやさしい心づかいからでした。神社におまいりをしたいのは、足のじょうぶな人ばかりとはかぎりません。女性もいれば、お年よりも、子どもたちもいます。からだの弱い人もいます。6からだの弱い人たちこそ、じょうぶになるようおまいりをしたいのです。そのような人たちも安心してのぼれるよう、わざわざまわり道をこしらえたのでした。
東京の上野駅の近くには、湯島天神があります。7天神さまは、菅原道真公をまつった学問の神さまの神社です。ですから受験生たちは、「しけんに合格しますように。」と、おおぜいおまいりにやってきます。この湯島天神にもゆるやかな女坂がつくられています。
8女坂は江戸時代に、日本じゅうのあちこちの神社やお寺につくられていきました。おまいりの旅がブームになり、女性も子どももお年よりも、だれもがおまいりにでかけるようになったとき、弱い人たちのことをみんなで考えあうようになったのです。
9いまでも、女坂がのこされているところが少なくありません。
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