1あらためてわが日本語をかえりみると、ただちに気付くのが「わたし」という一人称の多様さである。日本語ほど一人称代名詞に多くのバラエティを与えている言葉はほかにないのではあるまいか。2「わたくし」「わたし」に始まり、「ぼく」、「われ」、「おれ」、「自分」、「手前」、「うち」、「わし」、「それがし」、「吾が輩」、「当方」、「こちら」、「小生」、さらに「あっし」とか「あたい」とか、「わて」とか、「おいら」「こちとら」といったものまで加えれば、その数、ゆうに二十を越えるという。3英語やフランス語、ドイツ語などでは一人称の代名詞はそれぞれ、I、Je、Ichたった一語である。それに対して、日本語には、なぜこんなにたくさん「自分」をあらわす言葉があるのか。4それは日本人が他の民族よりも、ひと一倍「自分」に注意を払い、「自己」に深い関心を持っていることを語っているのだろうか。
端的にいえばそうである。しかし、だからといって日本人に自我意識が強いとは必ずしもいえそうにない。5いや、むしろ欧米人に対して日本人は「自分」を主張することがずっとひかえめであり、日本では「個人」という意識、「我」の自覚が西欧人にくらべてかなり遅れているというのが「通説」になっている。6たしかに日本で個人主義が芽生えたのは、ようやく第二次大戦後といってもいい。そして現在に至っても「個」の意識はまだまだ希薄で、日本の社会全体は画一主義で貫かれている。画一主義とは没個性的ということであり、要するに「個」が「全体」に埋没してしまっている状況である。7それなのに、日本人が他民族よりも「自分」に注意を向け、つねに「自己」を意識しているといえるのだろうか。
じつは日本人の自己意識は他民族、たとえば欧米人のそれとは質的に異なっているのである。ヨーロッパ人は自分というものを、実体的にとらえようとする。8自分というのは、それこそ、かけがえのない存在であり、独立した一個の人格と信じている。ヨーロッ
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