絹の道、塩の道
1塩は人間にとっても、ウシやウマにとっても、生きていくためにかかすことができません。食糧を保存するにも、みそやしょうゆをつくるにも、つけものをつけるにも、むかしからなくてはならないものでした。2「塩をそまつにすると、目がつぶれる。」むかしの人たちはそういって、塩をたいせつにしたものです。それは、外国でもおなじでした。ヨーロッパやアフリカの国々では、むかし、塩のかたまりが、お金として使われたほどでした。3王さまへのみつぎものにも、金や銀や宝石や、絹の布とおなじように、塩が使われたりしたのです。
その塩は、中国やヨーロッパやアメリカでは、地下からとることができました。地下からとる塩は「岩塩」とよばれ、鉄や石炭などのように、山をほってとりだすのです。4けれども日本では、塩は山からはとれませんでした。山国にすむ人たちは、よそから塩をもらわなければ、生きていくことができませんでした。
さいわい日本は、海にかこまれています。海は、むげんの塩の宝庫でした。5そこで海べの人たちは、海水から塩をつくって、山国の人たちにとどけたのです。それが、塩の道でした。
まず海岸のすなはまに、大きなすなの池をいくつもいくつもつくります。その池に海水をくんで、何日もかけて日にほします。6すると水分がじょうはつして、だんだんこい塩水になっていきます。それをさいごに大きな鉄のかまでにつめるのです。海水を日にほすためのすなの池は「塩田」とよばれました。7瀬戸内海や九州や、三陸の海岸など、日本のあちこちのすなはまで、塩田風景がくりひろげられていきました。
塩の道は、山の幸と海の幸とを交換する道でした。山国の人と海べの人とが心をかよわせる道でした。
塩の道は、日本じゅうのいたるところにありました。8日本列島の大部分は山国です。そして海岸ではいたるところで塩がつくられていたからです。
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