a 長文 6.2週 ta2
 川の道
 大むかしから山にすむ人たちは、山おくにわけ入って山の木を切りだし、川の水で下流へ送りました。小さな荷物ならば、まがりくねった山道でも、人がかついだり、ウシやウマをのせてはこぶこともできました。けれども重くて長い木材もくざいばかりは、どうしても川の水にたよらねばなりませんでした。木を一本一本谷におとし、谷川を流します。それをとちゅうのゆるやかなところにあつめて、いかだに組みなおし、いかだ流しで下流に送るのです。
 山の木を切りたおすのも、谷におとすのも、いかだ流しをするのも、おおぜいでおこなういのちがけのしごとでした。山村の人たちには、そんなくらしがあったのです。
 「木曽きそのなかのりさあん」といううたがありますね。木曽川きそがわはむかしから、木曽きそヒノキでにぎわった川でした。
 「なかのりさん」とは、いかだ流しをするおじさんたちのことです。「木曽きそのなかのりさあん」といううたは、きけんないかだ流しをするおじさんたちが、いせいよくうたう、しごとのうたです。
 では川の水は下流では、どんなふうに使われたでしょうか。日本の川はあばれ川です。大雨のたび、水はあふれて、平野を水びたしにさせました。そしてすこし日照りひで がつづけば、水はたちまちかれて水不足みずぶそくになりました。大雨のたび、水は山から土砂どしゃをはこんできて、川をあさくさせました。川があさくなれば、つぎの雨では、水はあふれて流れをかえました。
 川があさかったり、水が少なかったり、流れがあっちへいったりこっちへいったりしてうごきまわっているのでは、いかだ流しはできません。船もとおれません。人間もすめません。お米もつくれません。日本の平野は、むかしはそんな不毛ふもうの土地だったのです。
 むかしから日本人は、そのあばれ川をなだめすかして、川をきちんとしたものに、つくりかえていきました。ゆたかな水が、いつもおなじ場所をゆるやかに流れるよう、水の交通整理をしていったのです。
 あばれ川をおさめることを治水ちすいといいます。さて水をおさめると、人々はその川から水をひいて、水田をひらいていきました。これが農業用水です。用水には船もうかべられました。人々は川の水でイネをそだて、そして、とれたお米を川の水で町へとはこんでいったのです。
 お米をはこんでいった船は、町からはなにをつんで帰ってきたで
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しょうか。町で売られている着物や茶わんもありました。おけや草かりがまやほうちょうもありました。毎日使う紙もありました。なによりもたいせつな肥料ひりょうがありました。町の人たちのだすトイレのごみは、むかしはごみではなく、農地のかけがえのない養分ようぶんになったのです。
 
 「道は生きている」(富山とみやま和子)講談社こうだんしゃ青い鳥文庫より
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