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 わたしは、自分自身の体験たいけん紹介しょうかいしながら丸暗記についてだいぶ否定ひていてきなことを述べの てきました。しかし、それは丸暗記でやっていくことの限界げんかいについて指摘してきするのが目的もくてきで、暗記による知識ちしき獲得かくとくそのものが「意味がない」と考えているわけではありません。それどころか、いろいろなことが「わかる」ようになるベースを頭の中につくるときには、むしろ暗記は必要ひつよう不可欠ふかけつだと考えています。
 そもそも、何もない、まったくのゼロの状態じょうたいから何かを生み出すことはできません。物事を理解りかいすることも同じで、自分の中に理解りかいするための必要ひつよう要素ようそとなるものを最低限さいていげん持っていなければ、これを使ってテンプレートをつくっていくこともできません。つまり、わからないものをわかるようにするにも、最低限さいていげん必要ひつようとなる知識ちしき準備じゅんびしておく必要ひつようがあるということです。
 そのためには基礎きそてき知識ちしきは暗記によって頭の中に入れてしまうのです。たとえば算数でいえばだれもが通る「九九」などはその代表でしょう。漢字や英単語えいたんごだってマニアックなもの以外いがいはともかく覚えおぼ ておいたほうがいいに決まっています。
 また、なかには子どものころ、「百人一首」や「いろはがるた」などを遊びを通じて覚えおぼ た人もいるでしょう。こうした昔の人が残しのこ た短い言葉の中には、生きていくうえでの知恵ちえ凝縮ぎょうしゅくされて残さのこ れています。こういうものを持っているのが先人たちが積み重ねつ かさ てきた文化の強みで、これを有効ゆうこう利用りようしない手はないのです。たとえ丸暗記をしたその時点ではきちんと意味が理解りかいできなかったとしても、さまざまな経験けいけん積むつ 中で、理解りかいは深まっていくでしょう。そして、いずれはそこからさらにべつの知見を導き出すみちび だ というような、生きた知識ちしきとして使えるという可能かのうせいがあるのです。
 これはまさに人間の営みいとな そのものです。言語が誕生たんじょうしたといわれるやく七万五〇〇〇年前の人といまの人を比べるくら  と、人類じんるい知的ちてき
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能力のうりょくという点では同じだというせつがあります。しかし、持っている知識ちしきりょうや深さに関して かん  は、二〇〇〇年前の人に比べくら てもいまのほうが圧倒的あっとうてき優れすぐ ているといえます。これはられた知見を後世に伝えるつた  ということを人間が昔から愚直ぐちょくに行ってきた成果せいかで、こうした財産ざいさんとしてわたしたちが持っているものを理解りかいのための道具として使わない手はないのです。
 もちろん、こうした知識ちしき誰かだれ に言われるままの受け身の状態じょうたい覚えおぼ ているうちは、それが伝えつた ている知見を理解りかいすることはできないでしょう。でもとりあえず、最初さいしょはそれで構わかま ないと思います。ここで重要じゅうようなのは、「とりあえず自分の頭の中に備えるそな  」ことなのです。これをきちんとやっておけば、さまざまな経験けいけんをする中でいずれそのことがわかるようになるし、必要ひつよう状況じょうきょう訪れおとず たときにはその知見を使うことができるようになるというわけです。

(畑村洋太郎ようたろう「畑村式「わかる」技術ぎじゅつ」(講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ)より)
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