1日本の文化について、ある外国人が、次のように書いているのを読んだことがあります。
日本は二階建ての家で、二階には西洋式の生活や風俗や文化が、なにからなにまでそろっている。2また一階にはむかしながらの生活や風俗、日本式の文化がそのまま残っている。しかし、ふしぎなことは、その一階と二階とを結ぶ階段が見あたらないことである。──と、そういうたとえを引いて日本の文化の姿を批評しているのです。このたとえも、たしかにおもしろいと思います。3わたしたちの生活のまわりを見渡しても、たとえば洋服と和服(着物)、靴とげた、いすの生活と畳の暮らし、洋食と日本料理、西洋画と日本画、西洋音楽と日本音楽、──といったように、一方では西洋のものがさかんにとりいれられていながら、一方では日本にむかしから伝わっているものがよろこばれています。4町を歩いてみても、ヨーロッパやアメリカの町にくらべて少しもおとらない、りっぱなビルディングが立ちならび、電車や自動車が目まぐるしく走っている。5ところが、その町の中にも、のれんをかけ、店さきに畳をしいた、むかしふうのお店があるし、白壁の土蔵も見られるし、また神社の鳥居がたっていたり、お寺のあたりからお線香の煙りがにおってきたりする。6きれいな訪問着に着飾ったむすめさんが、デラックスな自動車から降りても、わたしたちはあたりまえのこととしてふしぎに思いませんが、外国人の目から見ると、ずいぶんめずらしいことなのでしょう。7それと同じことで、よくおすし屋や、おそば屋などの店さきに、テレビが置いてあって、そのそばに、酉の市で買ってきた大きなくまでが掛かっていたりする、そんな風景も、外国人にはふしぎでたまらないようです。
8一九五七年に日本を訪れたソビエトの作家エレンブルグは、次のように書いています。
「日本は、外から来るものをおどろかせる。最初に目にうつるすべてのものが、ひどく矛盾しているように思われる。9電化された汽車、いすの背の角度を自由に調節できる、乗り心地のよい車
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