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 いまから二千二百年ほどむかしの話です。中国に、しんという国があって、始皇帝しこうていという王様が、大きな勢力せいりょくをふるっていました。その宮殿きゅうでんは、中国の歴史れきしの中でこれほど大きなものはなかったと言われているほど、りっぱなものでした。なにひとつ不足ふそくのなかったこの皇帝こうていでも年をとるということだけはどうすることもできません。「なんとかして年をとらない方法ほうほうはないだろうか」と考えた皇帝こうていはおしまいに家来に言いつけて、仙人せんにんのところへ行って、不老長生ふろうちょうせいの薬、つまり年をとらないで、永久えいきゅうに死なない薬を手に入れさせることにしました。学者のことばによれば、東のほうの海に蓬莱山ほうらいさんという島がある。その山の中には仙人せんにんが住んでいて、そのふしぎな薬を作っているのだということでした。そこでたくさんの船が用意されて、どこかわからない蓬莱ほうらいの島をさがしに東へ東へと向かったのですが、その島はとうとう見つからず、その仙人せんにんの薬も手にはいらなかったということです。その使いのひとりにじょ福という家来がいました。そのじょ福が日本に渡っわた てきて死んだという伝説でんせつ残っのこ ています。和歌山県の新宮しんぐう市に、そのじょ福のはか伝えつた られているおはかがありますが、ほんとうにその人のはかかどうかわかりません。
 これは中国の人々でさえ、まだ日本の島を知らなかった大むかしの話です。しかし中国では、太陽ののぼる東の海、その海の向こうに、ふしぎな力をもった仙人せんにんの住む島があると考えられていたようです。
 ところが大むかしの日本人は、反対に西の海の向こうに理想の国があるように考えていたのです。それは「常夜とこよの国」と呼ばよ れていました。太陽が沈んしず でしまう西の海の向こうですから、そこはいつも暗い夜の国なのです。それでも日本人にとっては、いつも西の海をこえて行った大陸たいりくが、あこがれの国だったようです。どうしてでしょうか。
 こんなふうに考えてみることはできないでしょうか。太陽は東の
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海からのぼるとはいっても、その海はひろい太平洋で、いつも荒波あらなみがうち寄せよ ています。小さな船では、遠く乗り出すことなどはとうていできません。しかも、遠くまで海がつづいているばかりで、島のかげも見えません。海の向こうからてきのおそってくる心配も、まったくありません。ですから、東の海はただ自然しぜんのおそろしさがあるばかりで、ほかのことなどは考えなかったのでしょう。
 それにくらべて、西の海は波もおだやかです。船でこぎ出して行けば、壱岐いきや対馬のような島々があり、その先には、もう朝鮮半島ちょうせんはんとう山影やまかげ浮かんう  でいるのが見えます。半島に渡れわた ば、そこには日本人の知らない高い文化がさかえていたのです。また、半島のほうから渡っわた て来る人々も多かったでしょう。その人々の生活や風俗ふうぞくは、日本人にくらべてずっと高いものだったにちがいありません。そして、大陸たいりく影響えいきょうを受けて、日本の文化はいつも、西から東のほうへと進んでいきました。土器どきの作り方にしても、農業の始まりにしても、また鉄の道具を使うことにしても、いつも文化の流れは、西から東へと流れていました。日本にとっては、文化の光は、太陽の光と反対に、いつも西の海の向こうから、かがやいてきたのです。そこで、日本人の理想の国は西の海の向こうにある、と考えられたのだと思われます。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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