1言葉は風景のようなものだ。いや、山や野に咲く生きた花畠のような気もする。種子は同じでも、時と場所によって、咲かせる花は違う。
たとえば今、東京・新宿には高層ビルが林立して、まるで二十一世紀の未来都市のように見える。2戦後、新宿西口がまだ闇市の時代に、私は、フランス文学科の学生だったが、駅前マーケットの間を詩を書こうとしてほっつき歩いていたから、今日の街の風景を見ると、まったく隔世の感がある。
3本当にバラック建築つづきのごった煮の街で、混乱をきわめていたが、しかし一種の活気があった。戦争の暗い時代から解放されたということで、文学や芸術、自由が沸騰していた。4しかも、アメリカ軍の占領下にあって、言葉には米語スラングが氾濫していた。
そうした混乱の一時期ののち、朝鮮戦争を境に、また、だんだん世の中が静まり、しだいに日本の社会も姿を整えていった。
5かくて今や、新宿の空を見上げれば、忽然として夢のような東京都庁をはじめ超高層ビルが立ちならび、ビルの谷間を、朝晩通勤の人々の列が埋めている。6まことに、夢か現かという想いがする。
その間に私たちの日本語も変わった。これは当然のことだ。世の中が変わり都市ができれば、文明の、こうした風景が出現する。人間の生活も変わる。7ビル街ができれば歩き方も違ってくるし、ファッションも変わるというものだろう。人間の生活が変われば言葉も変わる。当然話し方も違ってくる。人それぞれの考え方も、環境によって変わっていくことであろう。
8このごろ、日本語が乱れている、敬語が目茶苦茶だ、外来語の
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