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 なぞの女王ヒミコが使いをおくったのは、黄河こうが流域りゅういきにあったの国でした。そのころには、南の揚子江ようすこうの下流の地方にの国があり、またその上流の、山の多い地方にはの国がありました。この三つの国を三国といいます。
 南のの国はの国をこまらせようとして、南朝鮮みなみちょうせん韓国かんこくと手を結んむす でいました。そこでの国でもこれと対抗たいこうするため、その韓国かんこくの(海をこえて)向こうにあるヤマタイ国を味方につけておこうとしたのです。
 民族みんぞくは、むかしから自分たちのいる地方を「中華ちゅうか」と呼びよ 、自分たちがいちばんすぐれた民族みんぞくだとしていました。(中華ちゅうか料理りょうりとか中華ちゅうかそばとかいう時の、あの中華ちゅうかです。)そして、まわりの地方にいるほかの民族みんぞくをみんな野蛮やばん人あつかいして、それぞれ東は東夷とうい、北は北荻ほくてき、南は南蛮なんばん、西は西戎せいじゅう、とよんでいました。日本民族みんぞくは、漢民族みんぞくから見れば東夷とうい、つまり東のほうの野蛮やばん人にあたるわけです。日本民族みんぞくはべつとして、ほかの民族みんぞくは、みんなひろい大陸たいりくの、陸続きりくつづ の土地に住んでいます。ですから漢民族みんぞくとしては、中華ちゅうか誇りほこ にしてはいても、いつもまわりの地方にいる野蛮やばん人、つまり、ほかの民族みんぞくがこの中華ちゅうかの土地に攻めせ こんでくるのを防ぐふせ ために、心を悩ましなや  、力を尽くさつ  なければならなかったのです。
 三千年にわたる長い中国の歴史れきしは、また漢民族みんぞくと、まわりの違っちが 民族みんぞくとの間のはげしい争いあらそ 歴史れきしでした。世界に名高い万里ばんり長城ちょうじょうは、あの不老ふろう長生の薬を求めもと たというしん始皇帝しこうていが、満州まんしゅう(中国の東北部)の地方にいた匈奴きょうどという野蛮やばん人の攻め寄せせ よ てくるのを防ぐふせ ために、大がかりな土木工事を起こして築いきず 城壁じょうへきなのです。
 中国の歴史れきしを調べてみると、多くの王朝がさかえたり滅びほろ たり、また分裂ぶんれつしていくつかの王朝がたがいに争っあらそ たりしています。
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すぐれた王様によって国が統一とういつされ、漢民族みんぞく勢いいきお がさかんになると、大がかりないくさを起こして、進んで北や西のほかの民族みんぞくをおさえつけました。しかし王朝の勢力せいりょくがおとろえると、ほかの民族みんぞく攻めせ こんできて、漢民族みんぞくをおさえつけてしまいます。遠くヨーロッパまでその勢力せいりょくをのばした元の国や、江戸えど時代から明治めいじのころにかけて中国にさかえていたしんの国などは、モンゴールや満州まんしゅう民族みんぞく支配しはいしていた国です。
 中国を中心にした東洋の歴史れきしを勉強するときに、いちばんわたしたちを悩ますなや  のは、こうした漢民族みんぞくとほかの民族みんぞくとの争いあらそ の問題ですが、大陸たいりくでたえずこうした民族みんぞく争いあらそ がくりかえされていたことが、じつは日本の平和のために、かえってつごうのよいことだったと言うことができます。こうした中国での争いあらそ 影響えいきょうを受けて、陸続きりくつづ 朝鮮半島ちょうせんはんとうはたびたび平和を乱さみだ れ、時にはほかの民族みんぞく支配しはいを受けたことさえありました。しかし、日本はそうした不幸ふこうな目に会うこともなく、今日まで独立どくりつ歴史れきしを守りつづけることができました。これはいうまでもなく、わたしたちの祖先そせんの大きな努力どりょくによるものですが、同時に、地図の上で見られるように、日本の国の位置いちということにも関係かんけいしていることです。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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