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 中国の人々は、日本人のことを、人まねはじょうずだけれど自分では何もつくり出す力のない国民こくみんだ、と言っているそうです。江戸えど時代よりまえの文化は、みんな中国の文化を手本にして、まねたものにすぎない。また、明治めいじ時代から今日までに築ききず あげた新しい文化は、これもヨーロッパやアメリカの高い文化をじょうずにまねたものだ、と言うのです。なるほどそう言われてみると、そうかもしれないな、と思いますが、ほんとうに日本人は、そんなつまらない、力のない国民こくみんなのでしょうか。わたしはそうは思いません。
 なるほど日本の文化のもととなるものは、ほとんど中国から、また西洋からとりいれたものです。しかし日本人はけっしてそれをそのままの形でまねしてきたわけではありません。それを日本の土地に、日本人の生活に、そして日本人の気持にぴったり合うように、手を加えくわ 改良かいりょうして、りっぱなものに仕上げていったのです。そのいちばんよいれいは、漢字です。漢字がはじめて中国から伝わっつた  たころには、漢文体で文章を書いたのですが、それでは日本のことばをそのまま表わすことができません。そこで、必要ひつようなときには漢字をつかって、日本語の音を一字一字書くことも行なわれるようになりました。奈良なら朝のころにできた『万葉集』をみると、日本の歌がすべて漢字で表わしてあります。
 たとえば、有名な山上憶良やまのうえのおくらの「貧窮ひんきゅう問答歌」のはじめの部分は、つぎのように書いてあります。
 風雑 雨布流欲乃 雨雑雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆かぜまじりあめふるよるのあめまじりゆきふるよるはすべもなくさむくしあれば
 まるで、お坊さんぼう  の持っているおきょうの本みたいですが、これで、
 風まじり 雨ふる夜の 雨まじり雪ふる夜は すべもなく 寒くしあれば
と読むのです。なるほど、こんなふうに漢字をつかえば、ちょうどローマ字をつかうようなものですから、どんなことばでも表わすことができます。
 於奈加我須以多おなかがすいた
 なんと読むかわかりますか。「おなかがすいた」です。こんなぐあいにあなたの名まえを一字一字書いてごらんなさい。なかなか
 333231302928272625242322212019181716151413121110090807060504030201 

めんどくさいでしょう。まったく日本のことばを表わすのに、こんなふうに一字一字漢字をあてていくのでは、書くだけでもたいへんです。そこで平安朝のはじめごろになると、もっと楽に、かんたんに日本のことばを書き表わすことができるようにいろいろくふうが重ねられ、できあがったのが平仮名ひらがな片仮名かたかなです。たとえば、「」という漢字のヘンだけとって、「ア」ができ、「安」という字、これも「あ」の音を表わすのにつかった字ですが、それを草書で書いたものから「あ」という平仮名ひらがなが生まれました。同じように「」から「オ」「お」、「」から「カ」「か」ができたのです。これなら書くのも楽で、覚えるおぼ  にもかんたんです。どちらも漢字がもとになっていますが、日本人でなければ読めないし、またつかうことのできない新しい文字です。この新しい文字がさかんに使われるようになると、日本の文化は一段といちだん さかえることとなりました。世界に誇るほこ 源氏物語げんじものがたり』や『枕草子まくらのそうし』のようなりっぱな小説しょうせつ随筆ずいひつも、このような仮名かなをつかって自分の気持や考えを自由に、楽に表わすことができるようになった結果けっか生まれたのです。また、筆でりっぱな文字を書く書道にしても、漢字を書くのでは中国人にはとうていかないませんが、まるで絵のように美しく書いた仮名かな文字は日本の書道として、自慢じまんしてもよいものでしょう。
 人まねがじょうずだということは、ただそれだけで終わってしまうのならばつまらないことです。しかし、はじめはまねをしても、自分でくふうを重ね、改良かいりょう加えくわ て、もっとりっぱなものに仕上げていくことができるならば、けっして恥ずかしいは    ことではないのです。日本人には、むかしから、そうしたすぐれた才能さいのうがそなわっているのです。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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