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 日本の国の歴史れきしは、そのまま日本民族みんぞく発展はってん歴史れきしだと言うことができます。そのことは、わたしたち日本人にとって、大きな力となっているのですが、一方ではひろく世界の国々の人たちと交わっていくためには、かえってそれがそんになっていると思われる点もあるようです。
 いったい日本人は、大むかしから日本民族みんぞくだけでこの島国に暮らしく  てきたために、とかく日本のことだけを、おおげさに考えすぎるくせがあります。「日本はりっぱな国だ」とか、「日本人はすぐれた民族みんぞくだ」とか、「日本の文化はすばらしい」とか、日本人どうしでおたがいに自分の国をほめ合い、それで満足まんぞくしています。もちろんお国自慢じまんということは、どこの国の国民こくみんだってあります。祖国そこくのわる口を言われるのは、だれだっていやなものです。しかし、外国のことやほかの民族みんぞくのことはあまり知らないで、自分の国だけが特別とくべつすぐれていると思うのは、あまり感心できないことです。「ぼくはそうは思わないな。日本のものなんか、みんなだめだ。外国のほうが、すべての面でずっとすぐれていると思う」あなたはそう言って反対するかもしれません。たしかにそう考えている日本人だって少なくありません。しかし、そのような見方は、せま苦しいお国自慢じまんを、ちょうど裏返しうらがえ にしたものにすぎないのです。ただ+と−の両方の極端きょくたん違いちが で、どちらもかたよった見方です。もっと高い立場に立ってみれば、どの国だって同じことなのです。そのなりたちも違えちが ば、国のしくみも違うちが し、その国民こくみんの考え方だって違っちが ているのですから、その国々でそれぞれすぐれた明るい面もあれば、同時に、その国として困っこま ている面、暗い面だってあるのです。日本人のものさしでそれをくらべてみようとするのが、だいいちむりなのです。見方がかたよってしまうからです。ですから、外国のことをよく勉強して深く知ることは必要ひつようですが、すぐれているとか劣っおと ているとか、ひどく気にすることはまったくむだなことだと言えるでしょう。
 ところで、同じ学校にかよっている友だちとはよく話が合うも
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のです。先生のかげ口、仲間なかまのうわさ、教室での出来事、休み時間の楽しい遊び、クラブ活動、修学旅行しゅうがくりょこう、運動会──共通きょうつうした話題はいくらでもあります。ところが、あなたもきっと経験けいけんがあると思いますが、たとえばほかの学校へ行っているいとこが遊びに来たとき、あなたの学校の中で起こった、とてもゆかいな出来事を話して聞かせようとすると、なかなかむずかしいことに気がつきます。毎日顔を合わせている級友ならば、簡単かんたんに「タヌキがね」といえばすむところを、「ぼくの学校にタヌキというあだ名の教師きょうしがいて、国語の担任たんにんなんだ。どうしてタヌキってあだ名がついたかっていうとね……」などと、いちいちくわしく説明せつめいしなくては、相手に話が通じない。その説明せつめいほね折れお て、かんじんのゆかいな話のほうは、すっかり気が抜けぬ てしまう。そんな経験けいけんをしたことがあるでしょう。
 同じ民族みんぞくだけで作られているこの日本の国にも、それにたようなことがあるのです。

「日本人のこころ」(岡田おかだ章雄あきおちょ 筑摩書房ちくましょぼう)より
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