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 良いよ ものを長く使う、というのがいきとされた時代があった。
 イギリスやアメリカの名門大学の講師こうし教授きょうじゅたちが、ひじ当てのついたツイードのジャケットを何十年も愛用あいようしている話など、わたし若いわか ころにはみな憧れあこが たものである。
 無理むりをして上等の品物を買うと、それが古くなってもなかなか捨てるす  ことができない。わたしの身のまわりには、そんな古着や古くつが山のように積みつ あがっていて、身のおきどころさえない有様だ。
 これが二、三十年前なら、喜々ききとしてそんな年代物のジャケットやくつやカバンを身につけて出歩いたことだろう。
 だが、そんな時代は、どうやらとっくに過ぎ去っす さ てしまったかのようである。そして世間の風潮ふうちょうが、新しいものを短くサッと使い捨てるす  方向へ変わっか  てきたことを、いやでも痛感つうかんしないわけにはいかない。
 わたしは新人作家のころに買ったマンションに、三十七、八年間ずっと住んでいて、
「えっ、まだあそこにお住まいなんですか」
と、知人にびっくりされることも少なくない。
 コンクリートの建物たてものは、三十年もたつとかなりいたんでくるものだ。改修かいしゅうをくり返したところで、いつかは限界げんかいがくるだろう。
 そんな自宅じたくマンションのガス湯沸かし器ゆわ  きの点火部分がこわれたのは、たぶん七、八年前のことではあるまいか。
 何しろ建物たてもの完成かんせいして入居にゅうきょした日以来いらい、ずっと使い続けつづ てきた古いガス湯沸かし器ゆわ  きなのである。三十年あまりも、よくこわれずに保ったも たものだ。
 最初さいしょから操作そうさするさいに、やたらと力が必要ひつよう機械きかいだった。バルブを開けるのも、点火スイッチを押すお にも、こしをすえて力をこめないと動かない。それだけ頑丈がんじょうに作ってあるからこそ、三十年も故障こしょうなしで使ってこられたのだろう。
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 その頑固がんこ無骨ぶこつ旧式きゅうしきのガス湯沸かし器ゆわ  きの一部が、ついにこわれた。いい機会きかいだから新型しんがたに取りかえようと思った。最近さいきんは、見た目もスマートで、機能きのうてきにも新しい給湯きゅうとうが、いくらでも出ているはずだ。
 そう思いつつも、長年愛用あいようしてきた古い道具への心残りこころのこ もないわけではなかった。
 この野暮やぼ湯沸かし器ゆわ  きは、一体どこの製品せいひんなのだろうかと、ふと興味きょうみをおぼえたのである。
 考えてみると、故障こしょうひとつおこさずに三十年も働いはたら てきたというのは、それだけでもえらい。
 あちこち調べていると、黄色く変色へんしょくしたメーカーの紙がはりつけてあるのを発見した。それではじめてその湯沸かし器ゆわ  きがドイツせいであることに気づいた。
 メーカーはユンカース。
 (中略ちゅうりゃく
 さらにあちこち調べてみると、日本の代理店の住所と電話番号が印刷いんさつされている。
「何しろ三十年前だからなあ」
と、ほとんど期待しないで電話をかけてみた。すぐに相手がでたので、びっくりする。
「あの、ユンカースの……」
「はい、はい、なんでしょう」
「ガス湯沸かし器ゆわ  きの点火スイッチがこわれたんですが、まさか、スペアの部品は……」
「ありますよ。修理しゅうりなさるんですね」
「えっ、あるんですか」
 ドイツというのは、つくづく凄いすご 国だと思った。

(五木 寛之ひろゆき『新・風に吹かふ れて』(講談社こうだんしゃ))
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