a 長文 10.2週 tu2
 今までの実験じっけんでは、問題をクレバー・ハンスに示すしめ ときに、その場にいる人たちはもちろん、その問題をいっしょにみて知っているわけですが、こんどは、問題をその場にいる人たちには知れないようにして、クレバー・ハンスだけがわかるようにします。たとえば一まいまいのカードに問題を書いてごちゃごちゃにし、その中から一まい抜き出しぬ だ て、それがどの問題を書いたカードかがその場にいるだれにもわからないようにして、ハンスに示ししめ ます。そうすると、もうウマはまったく答えることができません。一番やさしい問題にも答えられないのです。クレバー・ハンスは、とめどなくヒヅメでゆかをたたいたり、わけのわからない仕方でゆかを打ったりするだけです。そのようすは、ちょうど、問題を解こと うとしているというよりは、問題を出した人がゆかをたたくのをやめろという合図をするのを今か今かと待っているようにみえます。これはどうしたことでしょうか。
 クレバー・ハンスが習ったのは、問題のほんとうの解き方と かたではなかったのです。答えに相当する数を打ちおわった瞬間しゅんかんに、まわりの人が知らず知らずにちょっと動いたりする、この微妙びみょうな動きを見ぬくことを習っていたのです。
 実験じっけんを行う質問しつもん者の立場になって考えてみましょう。質問しつもん者は、必要ひつような打ち数をあらかじめ知っているわけです。ゆかをたたく打ち数を正確せいかくに数えるためには、質問しつもん者自身が数えなければなりません。それですから、最後さいごの打ち数になった瞬間しゅんかんには質問しつもん者は自然しぜんにほっとすることになります。そういうときには、頭やからだをおもわずちょっと前へ出すとかうしろへ引くとかするものです。クレバー・ハンスは、まわりの人びとがするこの微妙びみょうな運動に答えていたのです。
 プングストはこういう運動を問題の答えと関係かんけいなく、少々大げさにやってみましたところ、クレバー・ハンスの答えを自由に変えるか  ことに成功せいこうしました。このウマは、もともとこういう運動をわざわざ習ったわけではないのですが、訓練くんれん中に自然しぜんにそうならされてしまったものでしょう。
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 アマガエルはじっとしている獲物えものには気がつきませんが、それが動きだすと、急にとびつきます。動物は静止せいししているものには鈍感どんかんですが、運動には、それがほんのわずかな運動でも、気がつくことができます。ウマについても同じことです。
 ウマが人間と同じ知恵ちえをもっているという信念しんねん確かめるたし   ためにやった大さわぎは、ただ、ウマが微妙びみょうな運動をすばやくみわけられることを確かめたし  ていたにすぎなかったわけです。世間の人たちや学者たちまでがそれに気がつかなかったのは、クレバー・ハンスの答えの正確せいかくなことにまどわされて、答えがえられる仕方がまったく人間の場合と同じだと思いこんでいたからです。
 動物が人間と同じような表情ひょうじょうをしたり、行動をするように思えることがありますが、そのときにすぐ、人間になぞらえて考えてしまいがちです。しかし、その行動にとらわれない心で観察かんさつし、前後のすじ道を考えてみますと、まったく当たらないことがあるものです。
 クレバー・ハンスの大さわぎは、このうえもなくばかげたことのようですが、動物が人間と同じ知恵ちえをもっていて、人間と同じように教育ができるというのはまちがいだということをはっきりわたくしたちに教えてくれたのです。それでわたくしたちはこのことを、「クレバー・ハンスの誤りあやま 」とよんでいます。その意味は、クレバー・ハンスが答えをまちがえたからではありません。クレバー・ハンスが、人間がもっているような知恵ちえで答えられると信じしん ていた人たちのまちがいという意味です。

(「動物とこころ」 小川たかしちょ 大日本図書より)
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