1左右に偏らず、目指す地点に近づくことは大事なことである。しかし、私たちは黒白どちらかに行き過ぎることが多い。働くといえば働きっぱなし、休むといえばゆるみっぱなしになりがちなのが人間というものらしい。2酒は百薬の長、などという。いい加減にたしなめば心身にいい影響があることはたしかだ。しかし、どこをもってその理想的な地点とするのか。ここに一般的な基準はないと私は思う。私は宇宙天地の間に、ただ一人の私なのだ。3同じ人間は地球上にいない。そうとなれば、私個人の基準をさがし、それを目標にするしかない。日々の労働の場においては、そこまで個人を主張できるわけではない。私たちは共通の規則にしたがわなければ暮らしていけないのだ。4しかし、自分の休日は、自分でやりたいことをやる。ほかの人から見てばかばかしいと思われようが、無駄だと笑われようが、そこは個人の世界である。
薬の使用書などを読むと、十三歳以下はこれこれ、大人はこれこれ、と使用量が指定されている。5しかし、現実には四十キロの体重に満たない大人の女性もいれば、百キロ以上の重い人もいる。二十歳の青年もいれば、八十歳をすぎた老人もいる。胃腸の丈夫な人もいれば、すぐに調子を悪くするタイプもいる。6アレルギー体質の人も、病みあがりの人も、すべて大人ということでくくってしまう共通の世界だ。使用にあたっては医師の指示を受けて、などと書いてあるが、薬局で一般的な売薬を買ってくる人で、いちいち医師に相談する人がいるだろうか。
7そこでは私たちは人間一般として取り扱われているのだ。社会とはそういうものだ。私たちは一個の個人としてではなく、多数の類似品のひとつと見なされるのである。
こうなれば、せめて自分の休日ぐらいは、世界でただ一人の自己と向きあいたい。8自分は一体どういう人間なのか、体や心はどのように他人とちがうか、そこを見極めることからはじめて、自分だ
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