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 わたしたちの細胞さいぼう隅々すみずみには遺伝子いでんしというものがあり、体をどう作り、体をどう動かすかの設計せっけい図の役割やくわり果たしは  ていることがわかっています。その遺伝子いでんしは、自分の親から半分ずつ手渡さてわた れます。子どもたちの体の中には自分の両親からもらった遺伝子いでんしというバトンが入っているのです。そして、両親はその両親から、両親の両親はそのまた両親から…と数えていくと、一〇〇年間に四世代経過けいかしたとすれば、八人からバトンをもらうことになります。二〇〇年前を考えたら何人でしょうか。
 答えは八×八で六四人です。そうやってたどっていくと、五〇〇年前なら三二七六八人になり、九〇〇年前になると一おく超えこ てしまいます。人類じんるい歴史れきしをひもとくと、今いるわたしたちの祖先そせんとして、何万年も前にアフリカに住んでいた一人の女性じょせいにたどり着きます。今の人類じんるいはみな等しく彼女かのじょ子孫しそんであることがわかっているのです。
 そして、人類じんるい歴史れきし最低さいていで何万年、あるいはもっともっと長い何十万年、何百万年の単位たんいで考えたときに、自分たちの体の中にはいったい何人の人のバトンが入っているか考えれば、とほうもない数になります。そのとほうもない数のバトンは、ほかでもない自分の中にも入っています。その人たちがみんな生きていてくれたから、自分に命が受け渡さわた れたのです。
中略ちゅうりゃく
 自分が人類じんるいの何万年もの歴史れきし背負いせお 、そのいちばん先端せんたんに立っていることが感覚かんかくとしてわかった子どもたちは、おそらく自分や他人の命を粗末そまつにすることは考えられなくなると思います。自分という存在そんざいが、信じしん られないほどたくさんの人のバトンを受け継いう つ だ、彼らかれ 努力どりょく結晶けっしょうであり、目の前にいるだれかもまた、何おく人ものバトンを受け継いう つ でいる、彼らかれ 願いねが 詰まっつ  存在そんざいであると感じられます。そう考えれば、命を大切にする感覚かんかく自然しぜんにわき、人を殺そころ うなどという考えも頭に浮かばう  なくなるでしょう。子
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どもたちにそんな気持ちを抱かいだ せることにこそ科学は使うべきだ、とわたしは思っています。
 また、この話を通じてわたしは子どもたちに、そのような長い時間の中で自分たちが生きてきたという大局かんをぜひ持ってもらいたいと思っています。大局かんを持つことは、結局けっきょく、すべての科学者が今めざしているもの、すなわち、人はどこから来て、どこへ行くのかを知りたいという欲求よっきゅうにもつながります。なぜ自分が今、その何おく人もの人のバトンをもらってこの場に立っているかということを、われわれ大人はぜひ考えるべきだし、子どもたちが自然しぜんに考えられるような環境かんきょうを用意すべきです。
 「人生の主役はあなた」といったキャッチフレーズを、最近さいきんまち中でよく見かけます。一見、耳触りみみざわ のいい言葉ですが、そこには大きな危険きけんせい潜んひそ でいます。
 昔は、親と子どもは一心同体でした。子どもの痛みいた は親の痛みいた で、子どものために自分は頑張れるがんば  し、我慢がまんできた。しかし、今は「主役はわたし」で、子供こどもが自分の外に出ている感覚かんかくの親が非常ひじょうに多いのです。「自分の幸せのために子どもがじゃまになる」と口にする人もいます。「人生の主役はあなた」という言葉は、うらを返せばそうした考えを肯定こうていするものにもなりかねません。
 これは、先ほどの大局かんにもつながります。自分の願いねが 託したく たからこそ、子どもがいるはずです。だからこそ、子どもの幸せは自分の幸せで、自分の後ろに何百年もつながる、何おく人もの人たちの幸せであるはずです。わたしたちが、多くの人からもらったバトンを後世に向かって渡しわた ていくことは、地球上の生命として生まれたわたしたちの義務ぎむとも言えるのではないでしょうか。

(川島隆太りゅうた現代げんだい人のためののう鍛錬たんれん』(文春新書)より 一部改変かいへんした)
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