1私はこの数年間テレビ、ラジオ、新聞などを通じて意見を述べる機会に恵まれましたが、私のような外国人が日本の内閣総理大臣をはじめ要人や政治的なものを含む制度などを批判しても、当局からのおしかりもなければ愛国者といわれる方から危害を加えられたこともありません。2少なくとも私が知っている限りでは、日本における言論の自由はアジアはもちろん、世界でも例を見ないほど保障されていると思います。そして、今でも様々な国で行われている報道弾圧を思い起こすたびに、この自由を享受できないでいる海外の友人に対しある種の後ろめたさすら感じることがあります。
3とはいっても、この言論の自由を謳歌している日本の言論機関に対し、疑問や注文がないわけではありません。確かに政府による厳しい検閲や特定の団体による弾圧は感じられませんが、言論機関による少数意見の抹殺や世論操作に近い誘導があるように感じてなりません。4これは自由であるからこそ生じているものであるといえるでしょう。ここではとりあえず新聞、テレビなどマスコミについて考えてみたいと思います。
5まず不思議に感じることは、これだけの数の新聞と雑誌があるというのにとりあげているテーマがほとんど同じであるということ、しかもそのテーマは何を基準にして決めているのか、私たち外国人にとってはわかりにくいことです。6例えば国益を重視しての決め方であると思われる時がありますが、しかしこの国益という言葉はマスコミにおいてはタブー視すらされて、ほとんど死語に近いような概念であるようなので、どうもそうではないようです。7それでは社会正義なのかと考えてもみましたが、日本には確固たる正義の基準となるモラルや確立した規範があるようにも思えないのです。
私の考えでは、マスコミの役割はまず現在の世の中の出来事を事実として客観的に伝えること。8そして社会に対し危機回避の役割を果たすことであり、個人的社会的に向上するための知識や情報を提供することです。
しかし日本の報道については、ニュースの判断基準のあいまいさが気になります。9社説や論文はべつとして、その他の記事や報道では、何が客観的事実であり、またどんなメッセージを発しようとしているか分からないのです。
そこで第一に考えられることは、残念ながら日本のマスコミを左
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