a 長文 1.1週 wape2
 陰謀いんぼう理論とは、社会的現象はそれをひきおこそうとたくらんだ個人もしくは集団の陰謀いんぼうから生じてくると主張する理論である。したがって、この理論にとっては陰謀いんぼう家を探し出すことが主たる課題となる。たとえば、戦争、不況ふきょう、失業といった社会的現象は大企業きぎょうとか帝国ていこく主義的戦争屋はたまたシオンの長老たちの陰謀いんぼうの結果であるという。悪の帝国ていこくによる世界制覇せいはの野望とそれに対して果敢かかん闘うたたか 主人公といった少年マンガのレベルにおいてのみならず、大の大人にとっても、CIAの謀略ぼうりゃくとかフリーメイスンの陰謀いんぼうといったことで複雑な出来事が簡単に絵解きされるのは、耳に心地よいらしい。
 陰謀いんぼう理論に対するポパーの批判はきわめて簡単である。つまり、われわれの社会において陰謀いんぼうがそのまま成功することはほとんどないという事実が陰謀いんぼう理論を反駁はんばくしているというのである。この点については少しばかり、説明が必要かもしれない。われわれの社会では、意図と結果が大きく相違そういするのはむしろ当然である。行為こういは意図されなかった帰結や反発を引き起こす。それらは、当初の意図に跳ね返りは かえ 、その修正を迫るせま ことになるだろう。とすれば、陰謀いんぼうがそのまま実現することはありそうにないことである。しかし、こうした理論的な説明をおこなうよりも、具体的な例を挙げた方がわかりやすいかもしれない。
 いま、ある人が家の購入こうにゅうを切望しているとしてみよう。かれはさまざまな住宅会社を訪ねたり、住宅フェアに顔をだしたりするであろう。加えて、かれはできるだけ安い価格で家を購入こうにゅうしたいと望んでいるにちがいない。しかしながら、かれ購入こうにゅう者として住宅市場に現れたという事実は、原理上、需要じゅようを高め、かれの意に反して価格を上昇じょうしょうさせる。ここにあるのは、まさに(資本主義)社会の特定のメカニズムである。他方で、需要じゅようの増大が価格の低落をもたらす場合があるとすれば、そこには大量生産といった別種の資本主義的メカニズムが働いている。
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 もうひとつ、例をあげてみよう。多くの人は競争を好まない――とくに友人同士の場合には――と仮定してもよいだろう。しかしながら、たとえばポストの数にはかぎりがあるといった状況じょうきょうが生じたならば、だれもが競争したくないと思っていても、競争が必然的に生じてこざるをえないだろう。この種の競争という状況じょうきょうを、各人の名誉めいよ心とか、闘争とうそう心といったものを原因として説明するのはまさに心理的主義であり、本末転倒ほんまつてんとうである。こうした場合、名誉めいよ心とか、闘争とうそう心といった心理はむしろ状況じょうきょうの産物である。われわれの社会は、意図であれ陰謀いんぼうであれ、それらを当初の企てくわだ どおりに実現させることはきわめてまれである。テロリストがテロ行為こういによって彼らかれ の(遠大な)目的を実現させることはまずできない。陰謀いんぼう理論は、たとえ常識の世界でどれほど受け入れられているにせよ、社会のメカニズムを考慮こうりょに入れていないという明白な欠陥けっかんをもっている。
 ポパーはこうした社会のメカニズムを制度という観点から分析ぶんせきすることを制度分析ぶんせきと呼んだ。社会の諸制度はそのなかで行為こういがおこなわれるもろもろの枠組みわくぐ である。それらは、大部分が意識的に設計されその通りに形成されたものではなく、意図されなかったものとして、あるいは意図に反して形成されたもの(副産物)である。ハイエクの言葉でいえば、社会の諸制度は自主的秩序ちつじょである。制度分析ぶんせきは、制度を支えているものとしての伝統や慣習――これらも広い意味での制度である――のみならず、制度がおのずからにしてもった目的や機能、また制度における人員配置の問題、さらには制度が引きおこす諸帰結などを分析ぶんせきする。
 制度分析ぶんせき概念がいねんにくらべると、状況じょうきょうの論理あるいは状況じょうきょう分析ぶんせき概念がいねんはより広い領域をカバーすることができるように思われる。それは、定義的にいえば、事態のもつ必然性の分析ぶんせきである。ポパーは、トルストイに言及げんきゅうしながら、ナポレオン戦争下ロシア軍が闘うたたか ことなくモスクワを明け渡しあ わた 糧食りょうしょくをみつけることのできる
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長文 1.1週 wape2のつづき
場所へ退却たいきゃくしていった事態を状況じょうきょうの論理(必然性)の一例としてあげ、トルストイの分析ぶんせきの基本的正しさを認めている。ポパーにとっては、状況じょうきょうの論理を再構成すること、あるいは状況じょうきょう徹底的てっていてき分析ぶんせきすることが、(記述的)社会科学や歴史学にとっての課題となる。ポパーのことばでいえば、それ(状況じょうきょう分析ぶんせき)は「行為こういが客観的に状況じょうきょうに適合したものであったことを認識することである。換言かんげんすれば、たとえば、欲求、動機、記憶きおく、連想などのはじめは心理的なものと思われた要素は、状況じょうきょうの要素に変わってしまうほどに状況じょうきょう徹底的てっていてき分析ぶんせきされる。……状況じょうきょう分析ぶんせきの方法は、たしかに個人主義的な方法ではあるが、心理学的なものではない。というのも、それは心理的な要素を原理的に排除はいじょし、客観的な状況じょうきょうの要素によって置き換えお か ているからである」。

(小河原誠『ポパー 批判的合理主義』による)
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