1日本の伝統的な身体文化を一言でいうならば、「腰肚文化」ということになるのではないかと私は考える。現在の八〇代九〇代の人たちと話していると、腰や肚を使った表現が数多く出てくる。
2「腰を据える」「肚を決める」などは基本語彙である。「昔は肚のできている人が仕事を任せられる人だった」という言葉も九〇代の男性から聞いた。ここで言われている腰や肚は、精神的なこともふくんではいるが、その基盤には腰や肚の身体感覚が実際にある。3「腰を据える」や「肚を決める」は、人間ならば生まれつき誰でもがもっているという感覚ではなく、文化によって身につけられる身体感覚である。腰と肚の身体感覚が、数ある身体感覚の中でもとりわけ強調されることによって、からだの「中心感覚」が明確にされるのである。
4「現在の日本で、カラダに何が起こっているか」という問いに一言で答えるならば、「中心感覚」が失われているということになるのではないだろうか。自分の中にしっかりとした中心を感じることのできる人の割合は、かつてよりも相当減っている。5この感覚は、「芯が通っている」「芯が強い」という表現のニュアンスを活かすならは、「芯感覚」と呼ぶこともできよう。
6腰や肚を強調していた時代には、身体の中心感覚を常に意識することをもとめられていた。子どものころから腰が入っていなければ馬鹿にされるという慣習があり、しっかりした中心感覚をつくりあげることが明確な課題となっていた。7「腰抜け」「へっぴり腰」「腰くだけ」「および腰」「逃げ腰」「弱腰」「肚がない」「肚が決まらない」「腑抜け」などは、身体に中心感覚あるいは中心軸の感覚ができていないことに関する厳しい批判の言葉である。8こうした表現は、日常的に頻繁に用いられ、中心感覚を鍛える役割を果たしていた。
腰や肚ができているかどうかは、たんに身体の中心感覚だけではなく、心の揺るがなさをも含んでいる。9当時の人びとにとって
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