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 日本の伝統的な身体文化を一言でいうならば、「こしはら文化」ということになるのではないかと私は考える。現在の八〇代九〇代の人たちと話していると、こしはらを使った表現が数多く出てくる。
 こし据えるす  」「はらを決める」などは基本語彙ごいである。「昔ははらのできている人が仕事を任せられる人だった」という言葉も九〇代の男性から聞いた。ここで言われているこしはらは、精神的なこともふくんではいるが、その基盤きばんにはこしはらの身体感覚が実際にある。こし据えるす  」や「はらを決める」は、人間ならば生まれつきだれでもがもっているという感覚ではなく、文化によって身につけられる身体感覚である。こしはらの身体感覚が、数ある身体感覚の中でもとりわけ強調されることによって、からだの「中心感覚」が明確にされるのである。
 「現在の日本で、カラダに何が起こっているか」という問いに一言で答えるならば、「中心感覚」が失われているということになるのではないだろうか。自分の中にしっかりとした中心を感じることのできる人の割合は、かつてよりも相当減っている。この感覚は、「しんが通っている」「しんが強い」という表現のニュアンスを活かすならは、「しん感覚」と呼ぶこともできよう。
 こしはらを強調していた時代には、身体の中心感覚を常に意識することをもとめられていた。子どものころからこしが入っていなければ馬鹿ばかにされるという慣習があり、しっかりした中心感覚をつくりあげることが明確な課題となっていた。腰抜けこしぬ 」「へっぴり腰    ごし」「こしくだけ」「およびごし」「逃げ腰に ごし」「弱腰よわごし」「はらがない」「はらが決まらない」「腑抜けふぬ 」などは、身体に中心感覚あるいは中心じくの感覚ができていないことに関する厳しい批判の言葉である。こうした表現は、日常的に頻繁ひんぱんに用いられ、中心感覚を鍛えるきた  役割を果たしていた。
 こしはらができているかどうかは、たんに身体の中心感覚だけではなく、心の揺るがゆ  なさをも含んふく でいる。当時の人びとにとって
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は、心とからだは切り離すき はな ことのできないものであった。へっぴり腰    ごしでありながらも、揺るがゆ  ないしっかりとした心をもっているというようには考えられなかった。現実には、身心はそのように単純に重ね合わせて考えることはできないものかもしれないが、あえてそのように重ね合わせることによって、身心の教育、文化の伝承が同時になされる効率のよさがあった。
 こしはらが決まっていれば背骨はその上に正しく据えす られることになり、背筋は自然と伸びるの  こしの構えが崩れくず ているときに無理に背骨を垂直にしようとしても湾曲わんきょくしてしまう。背骨が中心じくの感覚の基本であるとすれば、中心じくの感覚はこしの構えのつくり方に大きくかかっている。
 「明治の人は一本筋が通っていた」ということがしばしば言われる。これは精神的な意味では善悪の基準がはっきりとしていたということや強い意志の力を意味すると同時に、からだの側面で言えば「こしを立てる」ことができていたことを意味する。「こしを立てる」感覚は現在あまり強調されることがないが、幕末・明治期の写真を見るとわかるように、当時は基本的な技であった。
 ここで重要なのは、「身体感覚の技化」ということである。身体感覚は、通常は何かの刺激しげきに対して反応する一回性のものだと考えられがちである。しかし、身体感覚も文化的なものであり、習慣によって形成されるものである。こしはらに関する感覚はその典型であり、生活の中で何度も訓練され、身につけられた一つの技である。(中略)
 身体感覚は、気持ちよさを感じる方向へ身体を解放するという文脈で語られることが多い。この文脈では、身体感覚は訓練されたり技にされるものではない。しかし、「身体感覚を技化する」という考え方をすることによって一回一回の身体感覚に流れていくのではない方向性が見えてくる。身体感覚が技となって身につくことで、よりたしかな充実じゅうじつ感が得られる可能性が生まれるのである。

(「身体感覚を取り戻すと もど 」(斎藤さいとう孝)より)
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