長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
私たちはこれまで、木は時代遅れの原始的な素材だと思っていた。だからそれに新しい技術を加え、工業材料のレベルに近づけることが進歩だと考えた。その結果、改良木材と呼ばれるものが次々に生み出された。それらは従来の木の欠点を補い、大量の需要に応じ、生活を豊かにするのに大きく役立ってきた。たしかに木材工業は発展したのである。
だが一方、最近になって、一つの疑問が持たれはじめてきたように思う。それは木というものは自然の形のまま使ったときが一番よくて、手を加えれば加えるほど本来のよさが失われていくのではないか、という反省である。考えてみるとそれは当たり前のことだったかもしれない。木は何千万年もの長い時間をかけて、自然の摂理に合うように、少しずつ体質を変えながらできあがってきた生き物だったはずである。木は自然の子で、そのままが最良なのである。
だから木を構成する細胞の一つ一つは、寒いところでは寒さに耐えるように、雨の多いところでは湿気に強いように、微妙な仕組みにつくられている。あの小さな細胞の中には、人間の知恵のはるかに及ばない神秘がひそんでいるとみるべきであろう。それを剥いだり切ったり、くっつけたりするだけで、改良されると考えたこと自体、近代科学への過信だったかもしれない。
木を取り扱ってしみじみ感ずることは、木はどんな用途にもそのまま使える優れた材料であるが、その優秀性を数量的に証明することは困難だということである。なぜなら、強さとか、保湿性とか、遮音性とかいった、どの物理的性能をとりあげてみても、木はほかの材料に比べて、最下位ではないにしても、最上位にはならない。どれをとっても、中位の成績である。だから優秀性を証明しにくい、というわけである。
だがそれは、抽出した項目について、一番上位のものを最優秀だとみなす、項目別のタテ割り評価法によったからである。いま見方を変えて、ヨコ割りの総合的な評価法をとれば、木はどの項目でも上下に偏りのない優れた材料の一つということになる。木綿も絹も同様で、タテ割り評価法でみていくと最優秀にはならない。しか
|