a 長文 4.4週 ya
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 私たちはこれまで、木は時代遅れじだいおく の原始的な素材だと思っていた。だからそれに新しい技術を加え、工業材料のレベルに近づけることが進歩だと考えた。その結果、改良木材と呼ばれるものが次々に生み出された。それらは従来の木の欠点を補い、大量の需要じゅように応じ、生活を豊かにするのに大きく役立ってきた。たしかに木材工業は発展したのである。
 だが一方、最近になって、一つの疑問が持たれはじめてきたように思う。それは木というものは自然の形のまま使ったときが一番よくて、手を加えれば加えるほど本来のよさが失われていくのではないか、という反省である。考えてみるとそれは当たり前のことだったかもしれない。木は何千万年もの長い時間をかけて、自然の摂理せつりに合うように、少しずつ体質を変えながらできあがってきた生き物だったはずである。木は自然の子で、そのままが最良なのである。
 だから木を構成する細胞さいぼうの一つ一つは、寒いところでは寒さに耐えるた  ように、雨の多いところでは湿気しっけに強いように、微妙びみょうな仕組みにつくられている。あの小さな細胞さいぼうの中には、人間の知恵ちえのはるかに及ばおよ ない神秘がひそんでいるとみるべきであろう。それを剥いは だり切ったり、くっつけたりするだけで、改良されると考えたこと自体、近代科学への過信だったかもしれない。
 木を取り扱っと あつか てしみじみ感ずることは、木はどんな用途ようとにもそのまま使える優れた材料であるが、その優秀ゆうしゅう性を数量的に証明することは困難だということである。なぜなら、強さとか、保湿性ほしつせいとか、遮音しゃおん性とかいった、どの物理的性能をとりあげてみても、木はほかの材料に比べて、最下位ではないにしても、最上位にはならない。どれをとっても、中位の成績である。だから優秀ゆうしゅう性を証明しにくい、というわけである。
 だがそれは、抽出ちゅうしゅつした項目こうもくについて、一番上位のものを最優秀さいゆうしゅうだとみなす、項目こうもく別のタテ割り評価法によったからである。いま見方を変えて、ヨコ割りの総合的な評価法をとれば、木はどの項目こうもくでも上下に偏りかたよ のない優れた材料の一つということになる。木綿も絹も同様で、タテ割り評価法でみていくと最優秀さいゆうしゅうにはならない。しか
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し「ふうあい」(繊維せんいの手ざわりや見た感じ)まで含めふく 繊維せんいの総合性で判断すると、これらが優れた繊維せんいであることは、実は専門家のだれもがはだで知っていることである。総じて生物系の材料というものは、そういう性質をもつもののようである。
 以上に述べたことは、人間の評価のむずかしさにも通ずるものがあろう。二、三のタテ割りの試験科目の点数だけで判断することは、危険だという意味である。たしかに今の社会は、タテ割りのじくで切った上位の人たちが、指導的役割を占めし ている。だが実際に世の中を動かしているのは、各じくごとの成績は中位でも、バランスのとれた名もなき人たちではないか。頭のいい人はたしかに大事だが、バランスのとれた人もまた、社会構成上欠くことのできない要素である。だが今までの評価法では、そういう人たちのよさは浮かんう  でこない。思うに生物はきわめて複雑な構造をもつものだから、タテ割りだけで評価することには無理があるのであろう。

小原二郎こはらじろう
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長文 4.4週 yaのつづき
 話を元に戻そもど う。以上述べてきたように、海牛類とクジラ類では鼻の位置がかくの如くごと 違うちが のだが、クジラのように鼻が頭のてっぺんにある哺乳類ほにゅうるいはほかにはいない(おそらくほかの動物群「こう」でもそうなのかもしれない)。とすれば、(現生の)クジラの定義として、
(一) 哺乳類ほにゅうるいである。
(二) 一生を水の中で過ごす。
の二条件に加えて、
(三) 鼻のあなが頭頂「頭のてっぺん」に位置する。とすれば、クジラ以外にこれに該当がいとうする生き物はいないことになる。さらにいえば、(三)は非常に有力なキーであるから、(二)の「一生を水の中で過ごす」という定義がなくても、無事にクジラ類にまで検索けんさくが行き着くのである。(中略)
 クジラの体型をクラシックにまとめると、「紡錘形ぼうすいけいにしてひれ状の前肢ぜんしを持ち、後肢こうしを欠くが部末線に半月状の尾びれお  が付属する。また、背部後半に背びれを有するものもいる」とでもなる。クジラ類の体型は多かれ少なかれこの字句で包括ほうかつできてしまうのだが、一方、「ちょっと待てよ、こりゃ、何もクジラだけの特徴とくちょうでもねーんじゃねえーか?」という疑問がわきおこる。いや、じつにそうなのである。ここでまとめたクジラの体の基本的な特徴とくちょうは、まさに海の先輩せんぱいである魚類にもあてはまることなのである。
 著名な進化学者であるハウエルによれば、ホオジロザメ(魚類代表)、イクチオザウルス(通称つうしょうりゅう爬虫類はちゅうるい代表)そしてバンドウイルカ・ナガスクジラ(クジラ類・哺乳類ほにゅうるい代表)はいずれも、基本体型が大変似通っている。これらは、進化系統的にはまったく赤の他人のようなものだが、共通しているのは、いずれも生活けんがまったく水の中にあること、とりわけ一生を水の中で過ごすことである。つまり、このような生活環境かんきょうの故にこの体つきになったということである。この四者の比較ひかくは、学術的には系統的に異なる生物が同一の環境かんきょう下で過ごすことによって体型が似てくる(生物
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学的)収斂しゅうれん現象の例としてしばしば取り上げられる。
 この収斂しゅうれん現象は、自然科学的にも人文科学的にも広範こうはんに真理をついているように思える。環境かんきょうを条件に見立てれば、空を飛ぶためには鳥とコウモリさらに飛行機の収斂しゅうれんになり、さらに形を文化にたとえれば、上りたいという条件は、互いにたが  交流がなくても東西の階段の形や使い方が似てくるという例に置き換えお か られる。
 言い換えれい か  ば、収斂しゅうれんとは「互いにたが  独立して努力しても、合理性を追求してゆくと、結果が類似してくる」ということなのである。
 クジラ類が、一体いつごろ水界に入ったかは依然としていぜん   なぞが多い。従来、最古のクジラであるムカシクジラ類パキセタスの化石が現れるのがおよそ五〇〇〇万年前といわれていたが、近年発見されたアンプロケタスの化石は、これを上回る五二〇〇万年前の地層から見いだされている。いずれにしても、ため息の出るような悠久ゆうきゅうの時を経ていることには変わりがない。この間には、幾多いくたのクジラの種類が現れては消えていったはずであるが、クジラ類というグループとしてはひたすらたゆまぬ努力を重ねて地球上のあらゆる水界に進出する一方、地球が生んだ最も高等な哺乳類ほにゅうるいという生物の一族でありながら、自らの記憶きおくすらない遠い遠い祖先「海の大先輩せんぱい」である魚類を凌ぐしの ほどに体を変えて水になじんだのである。私が前段でこだわった「鼻の位置」も、もちろんこの一環いっかんにすぎない。
 クジラ類とは、哺乳類ほにゅうるいでありながら、本来の生活の場から水界に生息場所を移し、そこでの生残りを果たしただけでなく、なおかつ合理性を追求している生き物であり、このような「クジラ的な生き物」はやはりクジラしかいない。

加藤かとう秀弘ひでひろ編著『ニタリクジラの自然誌』による)
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