1ピアシングという行為が、この十年ほどのあいだにこの国でも、ファッションとしてすっかり定着しました。
耳に穴を開ける、そのシーンを想像しただけで、はじめは、ちょっと不気味な感じさえしたものです。2親から授かった身体を傷つけるなんて、とたしなめるひとはもう、さすがに少なかったようですが、パンク系の若者のちょっと危ないファッションというのが、おおかたの受けとめかただったのではないかと思います。はじめは、なにか、見てはいけないものを見るようなところがたしかにありました。
3それはいつごろからか、十代の女性たちにぱっと広がり、そして当然のように青年たちに飛び火し、やがて娘たちから母親へ静かに伝染していき、そして「とんがった不良中年」ならやってて当然というところまできました。4最近はデパートのアクセサリー・コーナーへ行っても、ピアスでないふつうのイヤリングを見つけることのほうがむずかしくなっています。感受性というのはこうも急速に変化するものかと、あらためて感じ入っておられるかたも少なくはないと思います。
5そういえば、あの茶髪や金髪にしても、はじめはつっぱりの若者たちの悪趣味なファッションくらいに思い、アジア人には絶対に似あわないと確信していたひとがほとんどだったのに、みな不思議にあの色になれてきて、最近は、ふさいだ気分を切り換えるためのもっとも手軽な手段として、多くのひとたちが愛好するようになっています。6黒はやはり重くるしい、もう少しライトにしないと洋服には似あわないというふうに、センスがあれば染めるのが当然、というのが「常識」になってきています。むかしから気分転換に髪を切ったり染めたりというのはありましたが、そういう自己セラピーのような効果が、ピアスや茶髪にはあるようです。7身体の表面を変えることでじぶん自身を変えたいというファッションの願望は、いまはもう、表面の演出ということだけではすまなくなっているのかもしれません。「一つ穴を開けるたびごとに自我がころがり落ちてどんどん軽くなる。」
8これはある社会学者が町で採集した証言ですが、ピアシングの快感の表現としてはなかなかのものではないかと思います。
どうしてもこうでしかありえないじぶんというもの、あるいは、じぶんがこれまでしがみついてきたアイデンティティの檻、それらからじぶんを解き放つという軽やかさが、ここにはあります。9耳
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