1人間はすばらしい。人間は興味深い。もし、今、私のまわりからだれもいなくなってしまったら、緑の森があり、鳥のさえずりが聞こえようと、どんなに青い空が広がっていようと、生きて行く勇気はもてそうもない。2人間の中で自分を一つの自己として確立し、ほかの人たちをそれぞれの自己として尊重して生きてゆきたい。このような人間への関心を出発点として生まれた生物科学が生命科学である。(中略)
人間は、カエルの子はカエルであることを説明する遺伝の機構を理解する一方、「薔薇の木に薔薇の花咲く、なにごとのふしぎなけれど」と歌う。3人間がこの二種の態様で自然を理解するのと同様、人間自身の理解のしかたにもこの二つがあるだろう。私はここで、生命科学の中に情感や神をもちこもうといっているのではない。生命科学は、あくまでの自然の法則にのっとった分子と分子の関係で説明される反応の上に成立する科学である。4しかし、科学上の発見も人間の精神活動の結果なされたものであり、科学は人間の産物である。したがって科学者が、科学的認識を他の記載方法とはまったく無関係のものとしてとらえ、時には科学だけが唯一の知的認識の方法であると思い込んでしまうのは誤りだと思うのである。5そのような考え方で人間の研究を続けたら、生命科学は非常に危険なものになるだろう。生命科学が人間理解のための体系をつくり出す母体になろうという尊大な考えではなく、科学以外の知の存在を認め、お互いの調和点を見いだすことである。6そこには、おのずから人間を中心とした接点がうまれるであろう。一つのものへの総合ではなく、お互いに相手の存在を認め、相手のきらいなことはなるべくしないように心がけながら進んでいく思いやりが、両者がバランスよく進歩する道だと思う。
7科学の結果は客観的なものでなければならないが、研究法には研究者の自然観や人間観が反映してよいのではないだろうか。といっても、分子生物学のように共通性を求める研究の場合には、どうしても研究法に一定の流れができ、振幅は小さいだろう。8一方、マクロな分野は国民性や研究者の個性が出やすい。
そこで思い出すのは、京都大学霊長類研究所を中心とする研究グループが、ニホンザルなどの霊長類研究に日本独自の研究法をいくつか編み出して、成果を上げていることである。9この研究については、研究者自身による興味深い本が数種出版されているので一
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