a 長文 7.1週 yabi
 「案ずるより産むがやすし」という言葉がある。あれこれ考えているよりも、まずやってみようということだ。行動によって新たに切り開かれていくものも多い。やってみないことには何も始まらないというのは確かに真理である。「めくらへびにおじず」ということわざもある。へびという知識がないために、怖がらこわ  ずに歩いていく。その結果、結局へびは行動の妨げさまた にならなかったということである。
 このように考えると、知識は経験の障害になると言える。むしろ、知識がない方が話は進みやすい。明治維新めいじいしんを担ったのは、地方の下級武士の若者たちだった。中央の権力の伝統という知識から自由であったために、大胆だいたんに日本の未来図を描けえが たのだ。知識が乏しかっとぼ   たことが日本の未来を切り開いたのだと言ってもいい。
 しかし、その明治維新めいじいしんを発展させたのは、欧米おうべいに視察に行った若者たちの新しい知識でもあった。知識のなさは、混迷する事態を打ち破るエネルギーではあったが、新しい見取り図を作るには、そのための知識が必要だった。そう考えると、知識にもまた重要な役割があることがわかる。
 だから、問題は、経験か知識かということではない。経験も、知識も、物事を実現するためのひとつの方法である。目的に到達とうたつするための手段として経験と知識があるのだとしたら、大事なことはその手段ではなく目的の方である。「案ずるより産むがやすし」ということわざで問われているのは、どう産むかということではなく、何を産むかということなのである。


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 おに退治に行った桃太郎ももたろうに従ったのは、犬とさるきじだった。それぞれが象徴しょうちょうしているものは、犬は忠節、さる知恵ちえきじは勇気だという説がある。だが、肝心かんじんなのは従者ではなく桃太郎ももたろう自身である。その桃太郎ももたろう象徴しょうちょうしているものこそ、おに退治という行動の目的である。確かに、目的だけでは物事は成就しない。それなりの手段や方法が必要である。しかし、目的が明確でありさえすれば、それに応じた手段は必ず現れるのである。
 これを自分たちの人生に当てはめてみると次のようなことが言える。何かを勉強する場合、大事なのは、どういう勉強をするかという方法に対する知識である。そして、実際に勉強をするという行動である。どちらも同じように大切だ。しかし、もっと大切なのは何のために勉強するのかという目的だ。その目的をまず確かなものにすることが最初にすべきことなのである。

(言葉の森長文作成委員会 Σ)
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