a 長文 7.4週 yabi
 杉野すぎの君は、洋反物株式会社かじ万商店の反物を、遠く地方の呉服ごふく店に卸しおろ 歩く出張員になったばかりの青年である。初めての出張は出足からうまくゆかず、さんざんな売り上げであった。そして、きょうの目的地はG町――。この旅の最後の日程である。
 G町に着いたころはもう一尺先も見えぬ吹雪ふぶきであった。すずをつけた馬、がたがたの箱馬車、雪止めの新しいむしろ、そんなものが雑然と並んでいる駅前で、杉野すぎの君はぼう然と立ちつくしてしまった。土地の人々は自然に柔順じゅうじゅんな人たちのみの持つ敬虔けいけんさで、ただ黙々ともくもく 動いていた。
 杉野すぎの君はまるで吹雪ふぶき吹きふ こまれた人間のように、近江おうみ呉服ごふく店へ転がりこんだ。店にはだれもいず、黒々と古風にくすんだ店構えがしんと静まりかえっていた。囲炉裡いろりに火が赤々と燃え、鉄瓶てつびんからは白い湯気が暖かそうに立っていた。杉野すぎの君は雪を払いはら ながら、何かほっと安堵あんどした気持ちになっていった。ふと顔を上げると、おくの帳場に一人の少女が手に雑誌を持ったままこちらを向いてほほえんでいた。えくぼが白い花のように美しかった。
「あの、東京のかじ万でございますが。」
 杉野すぎの君ははっとしてお辞儀 じぎをした。少女も学校でするように丁寧ていねいに頭を下げると、そのままばたばたおくの方へ走って行った。すその短い着物の下にすっくりと伸びの た白いあし、そうしておさげに結んだ赤いりぼんが、蝶々ちょうちょうのようにおくへ飛んで行った後を、杉野すぎの君は夢のようにじっと見送っていた。
「ほうほう。それははあ。」
 そこへ主人がそう言いながら、煙草たばこぼんを提げて出てきた。
「ひどい雪ではあ。さあ寒い時は火のそばがいちばんす。」と、炉辺ろばたにすわりながら、煙管きせる煙草たばこを吸うのだった。杉野すぎの君も挨拶あいさつをしてすわった。
「こうぞ、こうぞ。」
 主人は突然とつぜん大声で小僧こぞうを呼び、
「座布団こさ持ってこ。」と命じるのだった。杉野すぎの君は囲炉裡いろりにこ
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ころもち手をさしだしながら、まぶたのなぜか熱くなるのを覚えた。
「ここへは初めてだべ。この雪こはあ驚きおどろ なすっただべのう。」
「何もかも初めてでして。」
 杉野すぎの君は訴えるうった  ように、種々の思いをこめてそう言った。
「ほうほう。よく来なすった。」
 そこへ先刻の少女がにこにこ笑いながら、お茶を持ってきた。
「これがむすめっ子ではあ、道ちゃ、お辞儀 じぎはあしなすったべのう。」
 少女はくくっと笑ったまま、またぱたぱたとおくへ走って行ってしまった。白い額、黒々としたつぶらなひとみ、そうしてまた白い花のようなえくぼだった。杉野すぎの君は自分までが何かにこにこと今は心楽しかった。
「ひとつうんとやってください。」と元気よく言い、例のようにまずモスの見本を開いた。
「ほう。このしゅははあよくできたっす。」
 主人は見本を手にすると、いきなりさも感じ入ったように呟いつぶや た。

外村とのむらしげるの物語」)
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