1数年前、私は西アフリカのナイジェリアの東北部べエヌ河の河畔を一人の土地の盲人と二人で神話・昔話を採取して歩いていた。四十すぎの私と殆ど同じ年と考えられる人であった。この盲人には実に色々な事を教わった。2そのうちの一つが次のようなことである。
或る時、彼の手を引いて山道を歩いている時に、彼は「目あきのおごり」というのがあるのですよ、と語り始めた。
目あきは、何でも見えるために、何でも解ると思っている。3ところが目あきが見ているのは眼の前に見えるものばかりでしょう。でも目あきが見ているものの中で目あきが記憶にとどめるのは、その百万分の一にすぎない筈ですよ。4そうでしょう、草の一本、一本、石ころのすべてを目あきは記憶しますか。しないでしょう。
私たち盲人は、一日単位では、目あきと較べるとたしかに何も見てないに等しい。5しかし、明日・明後日と先に行くにつれて、私たちの方がよく見えるということに目あきは余り気がついていませんね。私たちはたしかに眼は見えません。しかしその代償として、心の眼を与えられています。6心の眼は耳・身体・足・鼻・その他諸々の器官を「見る」ために動員するのです。それに、これらすべてを融合して、「遠く」をみるために、周りのものに対する「優しさ」が加わらなければなりません。7暗闇は私達盲人にとって絶望的な試練を与えますが、それは又無限の優しさを曳き出して来ることの出来る源泉です。目あきの人にはこうした暗闇を凝視することは出来ません。8私たちは、「心の眼」を通して暗闇の彼方から立ち現われる物を見ているのです。
この盲人は、昔話の絶妙な語り手であった。彼の語る昔話は、人々の魂をゆさぶる響きを帯びていた。9彼が語る時、昔話は、他の人間が語るのと同じ言葉で語られていても、それらの言葉は、周りの光景と融け合い、そうした事物の根に達し、世界を全く見なれない新しいものに変える力を持っていた。
0森も原野も、動物達も樹々も、すべて、彼の言葉に吸い寄せら
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