この文章の著者は、幼いころ、父の言いつけを破って、ひどくしかられたことが三度あったという。一度目は、外国人をもの珍しそうにじろじろ見るなという言いつけを破った時、二度目は、家の人にことわりもなしによその家に行ってはいけないという言いつけを破ったとき、そして、三度目が次の文章である。
もう一度は、大腸カタルを病んだ病み上がりに、「こりゃあ道ちゃん、とってもわるいんだ。おいしそうに見えるけどね、これを食べるとせっかくよくなったのにさ、またおなか痛くなるよ。道ちゃんは痛くて苦しむし、パパとママは心配して寝られないし。だから食べるんじゃないよ。」
と、かたく言われたその梅の木の実の青いのを、これまた色彩のつややかな美しさにほだされて、つい取って食べたときだ。運わるく、梅の木は、彼が執筆する書斎の真正面に植えられていた。
「パパがかいていらっしゃるときは邪魔するんじゃなくってよ。パパは一生けんめいだからね。」
と母はつねづね言っていたし、実際、一生けんめいに書くときの父がどんなに他のことに対してうわのそらになるかを、私自身、たしかめて知っていたから、梅の実を取るのも見られまいと、たかをくくったのである。
ところが、彼はちゃんと見ていた。今にして思えば、私の計算不足というもので、まっ赤なメリンスがちらちら動けば、いくら一生けんめい書いていても、視界にはそれが入るはずであった。
青い小さな球が口の中で、酸っぱいほろにがさをキュッと押し出したそのとたん、ガラリと開いたガラス戸の向こうから、
「ばか! 何をする!」
雷がおちたかと思われる音声に、私はだらしなく尻餅をついた。彼はなかなかのスポーツマンで、水泳は教師免許を持っていたし、学生時代は「早稲田を負かした」ピッチャーだった。だから走るのもたいへん速かった。あっと言うまに、逃げる間もあらばこそ、彼ははだしで飛んで来て、私の口に乱暴に手を突っ込むと青梅の実をひきずり出した。それから茶の間の方をむいて、「ママ! ママ!」と叫んだ。
「ひまし油!」
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