a 長文 8.4週 yabi
 この文章の著者は、幼いころ、父の言いつけを破って、ひどくしかられたことが三度あったという。一度目は、外国人をもの珍し  めずら そうにじろじろ見るなという言いつけを破った時、二度目は、家の人にことわりもなしによその家に行ってはいけないという言いつけを破ったとき、そして、三度目が次の文章である。
 もう一度は、大腸カタルを病んだ病み上がりに、「こりゃあみっちゃん、とってもわるいんだ。おいしそうに見えるけどね、これを食べるとせっかくよくなったのにさ、またおなか痛くなるよ。みっちゃんは痛くて苦しむし、パパとママは心配してられないし。だから食べるんじゃないよ。」
と、かたく言われたその梅の木の実の青いのを、これまた色彩しきさいのつややかな美しさにほだされて、つい取って食べたときだ。運わるく、梅の木は、かれ執筆しっぴつする書斎しょさいの真正面に植えられていた。
「パパがかいていらっしゃるときは邪魔じゃまするんじゃなくってよ。パパは一生けんめいだからね。」
と母はつねづね言っていたし、実際、一生けんめいに書くときの父がどんなに他のことに対してうわのそらになるかを、私自身、たしかめて知っていたから、梅の実を取るのも見られまいと、たかをくくったのである。
 ところが、かれはちゃんと見ていた。今にして思えば、私の計算不足というもので、まっ赤なメリンスがちらちら動けば、いくら一生けんめい書いていても、視界にはそれが入るはずであった。
 青い小さな球が口の中で、酸っぱいほろにがさをキュッと押し出しお だ たそのとたん、ガラリと開いたガラス戸の向こうから、
 「ばか! 何をする!」
 かみなりがおちたかと思われる音声に、私はだらしなく尻餅しりもちをついた。かれはなかなかのスポーツマンで、水泳は教師免許めんきょを持っていたし、学生時代は「早稲田わせだを負かした」ピッチャーだった。だから走るのもたいへん速かった。あっと言うまに、逃げるに  間もあらばこそ、かれははだしで飛んで来て、私の口に乱暴に手を突っ込むつ こ と青梅の実をひきずり出した。それから茶の間の方をむいて、「ママ! ママ!」と叫んさけ だ。
「ひまし油!」
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 ひまし油が、拒もこば うとする歯と歯の間に流し込まなが こ れて、そのくささに吐きは そうになっている私は、容赦ようしゃなくひきずられて、納戸の戸だなに押しこめお   られた。
「あれだけ言ってわからんやつは――座ってろ。」
 いつもならひまし油の「お口なおし」のドロップが与えあた られるはずだった。しかしその日はドロップはいくら待っても来なかった。ぬるぬると、いくらつばをのんでも舌にまつわってはなれない油に辟易へきえきしながら、私は何となくカビ臭いくさ 戸だなの中に座っていた。ネズミ、出て来やしないかしら、お化け、いないかしら……
 三度とも、考えてみれば約束違反いはんであった。
「わかったね。」
「うん。」
「どう、わかった? 言ってごらん。」
 そんなやりとりのあとで、約束違反いはんしたのだから、まあしかたないと、私はらちもなく悔いく ながら、しかし不思議にも何かせいせいしたさっぱりとした感じを心のどこかで味わいながら、ばつを受けた。
 あのせいせいした感じは、いま、分析ぶんせきしてみれば、「罪」への正当な「つぐない」の機会を与えあた られた者の味わう一種の安堵あんど感でもあったろうか。その三度のばつのとき、かれが意外に見せつけた権威けんいはまた、私の幼くばくとした世界に、ひとつのはっきりした線を引いて見せたとも言える。
「ここまで。ここから先はまだ。」
 その線は、子供心に信頼しんらい感を植えつけた。安心感をも植えつけた。
広がりすぎる自由は不安なものである。びょうとはてしない、わくなき世界は自由の世界とは異なる。
「よし、立ってろ。」
 その言葉とばつとが私に、自由というもののほんとうの意味を教えたのではなかったかしらと、今になって思うときがある。
(犬養道子「白樺しらかば派文士としての犬養健」)
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