1視覚系は、光を介して物の形を認知する。形は触ってもわかるから、視覚だけが形の担い手ではない。さらに、聴覚も形の認識にまったく無関係とはいえない。コウモリは、自分の出す超音波を利用して餌の虫を捕らえ、障害物を避ける。2そのためには相手の位置や大きさ、広がりを「耳で見ている」はずである。
ところで形はどこにあるのだろうか。形は物の方にある。すなわち形は物の属性だという。もちろんそうに違いない。「無いもの」は、どうやっても「見えない」。3見なくても、触ってみれば、あるていど形がわかる。それは、ものが本来、形を持つからである。
もう一つの見方では、形は頭の中にある。目がなかったら、物は見えない。その目は脳に連絡している。4たしかに、触ってみれば物の形もあるていどわかるが、大きな物体を撫でてもとても「一目」ではわからない。形を知るには、触覚刺激がいったん脳に入り、それを使って脳があらためて形を構成する。5目だって同じである。物が好んで形を作っているわけではない。われわれの頭が、形と称するものを、相手に押し付けている。
さて、この二つのどちらが正しいか。それは、考えてもムダらしい。6どちらが正しいかというのは、じつは質問が悪い。答えが出ないように、問題が立ててある。形については、右の二つの面、つまり自分と相手とをともに考慮する必要があるから、話が面倒になるのである。
7目はたいへん有効な感覚器だが、あまりに有効なので、有効でない点に、あんがい気づかないことがある。たとえば、物の大きさがわからない。
そんなことはない。大きい小さいは見ればわかる。8そう言うかもしれないが、それは相対的な大小である。顕微鏡で見たものの大きさは、倍率を知らないかぎりわからない。見たこともないものが、宇宙空間にポッカリ浮いていたら、誰でも寸法がわからない。9月と太陽が、同じような大きさだと昔の人は思っていたであろうが、実際の寸法はとんでもなく違う。
大きさを知るという、はなはだ単純なことができないので、人の世ではモノサシを売っているのである。0あんな簡単な器具はな
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