1地球上に未踏の地がなくなったといわれて久しい。地図をひらくと、すべての土地は線によって区切られ、あらゆる場所に名前が記載されている。大陸があり、国があり、街があり、村がある。その外も内も、まるで既知の存在であるかのようにふるまわれている。2衛星写真によって世界の隅々まで見渡せるようになった現在、未知の場所はどこにもないのだろうか。
ぼくはこれまで北極や南極、チョモランマといったいわゆる「辺境」を多く歩いてきた。3近年は特に地球温暖化の影響が著しい極北を中心に、アラスカやグリーンランドの小村を訪ね歩いている。果てしない氷海の上をひたすらスキーで歩いていてホッキョクギツネやシロクマの足跡に出会うと、生き物の痕跡にほっとする。4目もあけられない吹雪の中、小高い丘の雪面を歩くカリブーのシルエットが視界に浮かび上がったとき、わけもなく涙が出そうになった。後ろを振り返ると氷の水平線がどこまでも続いており、いま自分がここにいることが奇跡のように思われた。
5北極というと厳しい荒野が広がっている印象があるかもしれないが、都市に住む人々が辺境だと思っている場所にも動物や人間の営みは細々と、しかし脈々と受け継がれている。彼の地に暮らす人々にとってみれば、辺境など存在せず、生きている人の数だけ「中心」があるということにほかならない。
6どんな場所のことも瞬時にいろいろ調べられるようになった現代において、一般的な観光旅行は、ガイドブックなどに紹介された場所をなぞる行為になっている。そこには実際に見たり触れたりする喜びはあるだろうが、あらかじめ知り得ていた情報を大きく逸脱することはない。
7一方、そうした旅行から離れて、旅を続ける人がいることも事実である。ここでいう「旅」とは、決められたスケジュール通りに地名から地名へと移動することではなく、精神的な営みをも含んでいる。
8北極であろうがヒマラヤであろうが、そこへ行って何を体験するかが重要なのではない。大切なのは心を揺さぶる何かに向かいあ
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