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 環境かんきょう問題は、身近な問題であり、人間の生存をも左右する根本的な問題です。しかし、その認識は、問題が深刻にならなければ深まらないというのも事実のようです。このような性格の環境かんきょう問題をうまくたとえたものに水草の話があります。
 地下水が豊富な熊本くまもと市に、江津湖えづこという湖があります。この湖で最近問題になっているのがウォーターレタスという外来の水草の増殖ぞうしょくです。湖一面、この水草で覆わおお れてしまい、ヒメバイカモなどの在来の貴重な水草が駆逐くちくされようとしています。
 水草がこれほど増えるまで問題にならなかったのは、環境かんきょう問題に対する、私たちのこのような意識のあり方と似たところがあったようです。つまり、一片の水草が一週間に二つに増える能力があるとしましょう。最初は、だれかが問題意識もなく、自宅の水槽すいそうの水草を捨てたのでしょう。一週間後、水草が二つに増えてもだれも気づきません。何週間か後、少し目につくようになり水草に気づく人もでてきましたが問題にする人はいません。まだ、広い湖でほんのわずかな部分にあるだけだからです。さらに月日が経ち、水草が湖面の八分の一ほどを覆うおお ようになると、人々が問題にしはじめました。「大変だ。このままでは水草が増えて湖が覆わおお れてしまう。」と。しかし、次の週には、湖面の四分の一に、その次の週には半分まで水草が覆いおお 、本格的な対策を打つ余裕よゆうもなく、人々が騒ぎ出しさわ だ てから、たった三週間目には、水草が湖一面を、占領せんりょうしてしまったのです。
 地球環境かんきょう問題も、この水草の問題と同じような性質をもっています。私たちの子どもたちが生きていく地球の環境かんきょうをよりよいものとするために、問題が現実となる前にしっかりと手を打っておかなければなりません。
 子どものころ、二十一世紀は夢の時代として遠い存在でした。しかし、今、現実となり、私たちの子どもたちがこの世紀を支えていくことになります。
 人間は地球上の他の動物と違っちが て、脳を極端きょくたんに発達させてきました。その結果、知能が発達し、道具を使い、火を利用し、機械をつくり豊かで便利な社会を築いてきました。その反面、私たちの生存の基盤きばんである地球を流れる時間の追随ついずいを許さないはるかに速いス
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ピードで私たちは地球に負荷を与えるあた  ようになってしまいました。私たちの欲望がそうさせたのです。
 今や、地球にとって、他の生物とは異なり、私たち人間の存在そのものが負担となっているのは間違いまちが ありません。私たち一人一人が謙虚けんきょにこのことを受けとめていかなければならないでしょう。
 また、よく都市と地方の対立の構図を見ることがあります。
 都会の人が、田舎の人に対し、環境かんきょう壊れるこわ  から、道をつくるなといってみたり、舗装ほそう道路は必要ないなどといってみたり、しかし、こういう意識は、正しいのでしょうか。このような環境かんきょう問題について声を大にする人々も、普段ふだん、自動車や鉄道を利用し、電気を使い、紙を消費しています。日常、森林の手入れに汗するあせ  こともありません。きっと地方の人々に比べ、一人当たりの地球への負荷量ははるかに大きいはずです。
 二十一世紀を生き抜くい ぬ ためには、このような現実をしっかりと理解し、謙虚けんきょさを失わないことが大切です。また、それが他人であったり、動物であったり、地球であったりもしますが、思いやりを持つことが基本となるでしょう。
 日本では、公徳心に欠ける光景を目にすることがよくあります。自然公園の中で、平気でゴミを捨てたり、木の幹に名前を彫るほ など枚挙にいとまがありません。このようなことをするのは、日常の生活でも、吸い殻す がらを投げ捨てたり、車から空き缶あ かんを投げ捨てたりしているからでしょう。これは自分さえよければ構わないという発想に根ざした行為こういです。だれでも多かれ少なかれ経験しているのではないでしょうか。この公徳心も結局、思いやりの心をもつことで生まれてくると思います。

(矢部三雄みつお「森の力」より)
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