1私が本当に「日本」を身をもって発見したと思ったのは、戦後であった。ある日、偶然、上野の博物館で、はじめて縄文土器の異様な美にふれ、全身がふくれあがった。底の底から戦慄した。日本の根源をつきとめたと思った。2無限に渦巻き、くりかえし、もどってくる。そのすごみ。それはいわゆる「日本風」とはまったく正反対だ。あまりにも異質なので、それまではだれもがこの国の伝統とは考えなかった。たんに考古学的資料として扱われ、美術史からも除外されていた。3しかし、私はそこに日本人としてビリビリと受けとめる、迫ってくるものを感じとった。そして私はその感動を文章にして発表した。それはひどく衝撃的な発言と受け取られたようだ。
4縄文土器論を私は美学的な問題やただの文化論として書いたのではない。つまりこれから日本人がどういう人間像をとりもどすべきかということのポジティブ(積極的)な提言であり、またあまりにも形式的で惰性的な日本観に、激しく「ノー」を発言したのだ。5いわゆる日本的と考えられている弥生式以来の農耕文化の伝統、近世からのワビ、サビ、シブミの平板で陰湿なパターンに対して、太々と明朗で強烈な、根源的感動をぶつける。自分の作品でたたかい、言葉、論理で「ノー」と言う。6それはもちろんだが、それだけでなく、だれでもの心の奥底、その暗闇に置去られている、よりナマな人間像をつきつけることによって、現代の惰性をうち破るテコにするのだ。強力な証拠をぶつけたからには、それを起爆剤として、何か生まれるに違いない。私は当然そう期待した。
7憎まれることを前提にして、極力ひらききったつもりである。過ぎ去ったことをいろいろ言う気もないが、私は日本に賭けた。
(中略)
私は今この世界で、二本の糸の上を異様なバランスをとりながらわたって行くような思いがする。8いわゆる「綱わたり」、曲技を言っているのではない。……見えるような、見えないような、迫り、遠のき、からんでくる、透明な糸。あたりには何もない。見
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