1妖怪の中に「もののけ」という種類があって、これは「もの」につく。一般には、「ものの毛」と書いて、これは「もの」に生える「毛」のことであろうと考えられているようであるが、そうではない。「ものの気」と書いて、これは「もの」が漂わせているかに見える「気配」のことである。
2つまりこれは、「もの」についてそれが「もの」であることを、次第に歪曲もしくは変質させてゆくわけであり、それが我々には、どことなく得体の知れない「気配」を漂わせているように見えるのであるが、ここで言う「もったい」も、そうした「もののけ」の亜種にほかならない。3そしてそれがつくと、我々はその「もの」を、むしょうに捨てたくなる。
従って逆に、それのついていないものを見ると、むしょうに拾いたくなる。4つまり、「もったいない」のである。我々は、定期的にごみ捨て場をうろつき、「もったいない」とつぶやきながらあれこれと拾い集める連中を見て、「あれはきっと、それらのものが拾ってくれ拾ってくれと、連中をそそのかすからに違いない」と考えるが、実はそうではない。5「もの」に「もったい」という「もののけ」がついている時、その「もの」が我々に「捨てろ捨てろ」とそそのかすのであり、「もったいない」と言って拾うのは、単にその反動にすぎないのである。(中略)
6ところで、人類史をひもとくまでもなく我々は、かつて「狩猟採集時代」というものを経験し、今また「消費遺棄時代」というものを迎えつつあることを、よく知っている。つまり、その生活の主たる様態を、「拾う」ことから「捨てる」ことへ、大きく転換させつつあるのだ。7妖怪もったいは太古より存在し、それが「もの」についたり離れたりすることにより、人々にそれを捨てさせたり拾わせたりする法則性は、何ら変化していないにもかかわらず、こうした転換が行なわれたということは、明らかに奇妙なことと言えよう。
8現在、もったい専門の妖怪学者が問題としているのは、この点にほかならない。言うまでもなく、考えられることはひとつである。つまり「狩猟採集時代」から「消費遺棄時代」に至る期間
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