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a 長文 10.2週 1u
 ダイエー・ホークスと言えば、いまは辞めましたが、当初は高橋慶彦さんがコーチング・スタッフに加わっていました。この高橋さんは現役時代は広島力ープのトップバッターとして大暴れした人です。
 もちろんプロに投じるほどですから優れた素質の持ち主ではありますが、プロ選手の中に混じれば、素質的にはむしろ平凡だったと言っていいでしょう。高橋選手がレギュラーを獲得したのは、努力以外のなにものでもありませんでした。猛練習に次ぐ猛練習によって、トップバッターの座を不動のものにしたのです。
 その高橋さんがコーチになってみると、教える選手はみんな自分よりもすぐれた素質の持ち主ばかりです。それなのに、その素質を発揮できないでいる。高橋コーチにしてみれば、じれったいかぎりです。自分がやったと同じような努力をすれば、素晴らしい選手になれるのに、という思いが消せません。その思いがつい「おまえはだめだ」と選手を否定する言葉になって飛び出します。否定された選手がいい気持ちがしないのは当然です。どうしても反発するようになります。こうして、コーチとしての高橋さんはその熱心な指導ぶりにもかかわらず、成功したとは言えませんでした。
 一昨年、私がお手伝いしたチームづくりの研修会で、高橋コーチはそのことに気づいています。「私は無意識のうちに自分を肯定し、相手を否定するところから指導していました。そうではなく、まず相手を肯定しその上で指導するのでなければ、成果につながらないことがよくわかりました」高橋コーチの態度変容は、選手にすぐに伝わり、支持されるようになってきました。その選手の中から盗塁王、松村選手が生まれたのです。今度コーチに復帰したらもっと大きな実績を上げるに違いないと思います。きっといい指導者になることでしょう。
 そう言えば、「名選手、必ずしも名監督ならず」とよく言います。名選手というのは、無意識のうちに自分のレベルでものごとを考えてしまいます。自分が監督になってみると、選手は自分のようにはできない。だから、選手たちはだめというのが、まず前提になる傾向がある。選手を肯定した上で導くのではなく、まず否定した上で導こうとする。ここに名選手が名監督たり得ない問題があるように思われます。
(「致知」九十七年五月号 北森義明氏の文章より)
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a 長文 10.3週 1u
 第二次大戦はデモクラシーとファシズムの戦争だった。これがいまの歴史教育の基本である。こんな大嘘はない。
 あの戦争ではアメリカとソ連が手を結び、同じ側に立ったのである。アメリカがデモクラシーであることに異論はないが、スターリンのソ連をデモクラシーと言ったら、噴飯ものである。
 第二次大戦をデモクラシー対ファシズムの構図にしたのは、アメリカの戦時プロパガンダである。プロパガンダは事実である必要はない。嘘でも何でも、目的を達成すればいいのである。アメリカはこのプロパガンダで戦争の正当性を主張し、デモクラシーの価値を守るための戦いだと言って国民の士気を鼓舞し、目的を達したのだ。
 では、第二次大戦はどういう戦争だったのか。アルタルキーの国と非アルタルキーの国の戦争だったのである。
 アルタルキーの国とは、近代産業を支えるための天然資源を自国内や植民地内に持っている国のことである。逆に非アルタルキーの国はそのための天然資源を持っていない国をいう。
 あの戦争をアルタルキーの国対非アルタルキーの国のぶつかり合いと見ると、全体像がはっきりする。
 アメリカ、イギリスはもちろん、ソ連もフランスもオランダも、いわゆる連合国側に入る国はすべてアルタルキーの国である。それに対峙した日本もドイツもイタリアも非アルタルキーの国である。アルタルキーの国はブロック経済で関税を高くし、非アルタルキーの国を締めあげた。しかし、関税を高くするぐらいは耐えられた。すると、今度はアルタルキーの国は非アルタルキーの国に天然資源を売らないとなった。航海条約が破棄され、貿易が遮断された。こうなってはたまらない。ついに爆発して戦争になった。これが事実である。ところが、デモクラシー対ファシズムの戦争というアメリカの戦時プロパガンダを鵜呑(うの)みにして、歴史教育は行われている。デモクラシーとファシズムとでは、明らかにデモクラシーが善であり、ファシズムが悪である。従って、ファシズムの側にくくり込まれた日本は悪者ということになる。
 (中略)
 いま約百六十か国の独立国が国連に加盟している。こんなに独立国が増えたのは戦後のことで、しかもそのほとんどは有色人種の国である。これは日本がアメリカとがっぷり組んで横綱相撲を取った結果なのだ。
 連合国側に与(くみ)した白人国家は有色人種の国を独立させる意志はなかった。事実、戦後日本が東南アジアから引き揚げたあと、イギリス、フランス、オランダなどは軍隊を送り、もう一度東南アジアの国々を植民地にしようとした。
 だが、それはできなかった。東南アジアの人びとが、日本の勇敢な戦いの前に敗北する白人たちを目(ま)の当たりにして、白人に有色人種が勝てることを知り、敢然と抵抗したからである。
 ビルマやフィリピンは日本の統治下で日本の協力のもとに独立した。その波はインドからアフリ力に及び、そして独立した有色人種国家が国連などで活躍するのがアメリカの黒人を勇気づけ、市民権獲得となっていった。
 つまり、すべての人類は平等とする波が起こったのは戦争の結果であり、その起点となったのは日本なのである。
(「致知」九十七年二月号 渡部昇一氏の文章より)
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a 長文 11.1週 1u
 二十七歳のときに京セラという会社をつくってもらって、ファインセラミックスの研究が次から次へと成功し、会社がどんどん大きくなっていきました。
 私が開発したセラミック・パッケージという技術は、現在世界中のコンピュータの心臓部に使われています。これがなければ、現代のパソコンもコンピュータもなかった、といわれるほど重要なものですが、それはこの私がつくったのだという自負心が出て、慢心しかけていたときでした。
 そのときにハッと気づいたのが、みな同じ人間であるはずなのに、なぜ私だけが才能に恵まれたのだろうということでした。
 そしてそれはたまたま私がこの世に出てくるときに、宇宙の創造主が才能を与えてくれただけであって、何も稲盛和夫でなくてもよかったのだということに気づいたのです。
 京セラも第二電電も、確かに現代という時代に必要だったと思います。しかしその会社をつくるのは何も私である必要はなかった。一億二千万という人がいる中で、私と同じ役割をする人がいれば、その人がつくっても構わないわけです。
 社会を一つのドラマと考えれば、そこには主役を演ずる人も必要ですが、入り口で切符を売る人も必要です。裏では大道具小道具、主役のメイクをする人、衣装を縫う人も必要です。仕出しの弁当を注文したり、みんなの世話をする人も必要です。
 いろんな人がいて初めてドラマが構成されるわけですから、私にはたまたま主役を演ずる役割が当たっただけで、もし別の人に当たっていても、人生のドラマは構成できるはずだ、と私は気がついたのです。
 人生のドラマという作品をつくるために、宇宙の創造主がそれぞれの人にそれぞれの任務にふさわしい才能を与えてくれて、この世に出してくれたわけですから、主役だからといって、それをあたかも自分だけの才能のように思い、自分だけが利用してお金持ちになり、栄耀(えいよう)栄華を極めていけばいいというものではない、ということに気がついたのです。
 そのことに気がついたお蔭で、二十七歳で会社をつくってから今日まで、三十八年間をなんとかやってくることができたのだと思います。もし私が自分自身を戒める謙虚さをなくし、慢心をしていたら、今日の私は存在しなかっただろうと思います。
 そのことを思うにつけ、政官財界で、私などより遥かに優秀で、立派な仕事をしてこられた方々が、没落していかれる様子を見ています。
 そのような人々が陰徳を積む、積善をするということによって人生は変わるのだということ、あるいは「只謙のみ福を受く」ということを知っておられたのであれば、いまでも立派に世のため人のために尽くしておられただろうと思うのです。
(「致知」九十七年六月号 稲盛和夫氏の文章より)
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a 長文 11.2週 1u
 岩手県宮守村の県立遠野高校宮守分校に新任の教頭として赴任したのは昭和六十二年四月、いまからちょうど十年前のことだった。一学年の定員は四十五人だが、生徒数は三学年合わせても六十数人と定員の半分にも満たない。非行グループが横行し、村民の子供が分校への進学を嫌がる荒れた学校だった。
 分校の校長は遠野高校の校長が兼務するから、私はいわば現場責任者ということになる。着任前、一人で様子を見に行って驚いた。たぶん県下で一番老朽の木造校舎だろう。グラウンドやテニスコートを枯れ草が覆っている。校舎の窓ガラスはことごとく曇りガラスになっていて、クギを打ちつけて開けられないようにしてあった。
 現実は想像以上のひどさだった。保健室で男子と女子生徒が一つのベッドで寝ている。スカートの丈を長くしたスケバンがいるし、番長もいる。喫煙、暴力、いじめ、さぼり……。まるで“非行のデパート”ではないか。「授業ができません、学校に来るのがつらい」。若い教師が嘆いた。
 為さねばならぬ――単身赴任の私は、睡眠時間を除くほとんどの時間を分校の公務と活性化のために費やすことにした。しかし、時間は限られている。私は百日闘争を宣言した。正常化の時限を三か月余と区切ったのである。
 刑務所のような印象の曇りガラスを透明なガラスと取り換えると、教室に明るい陽が差し込んできた。だが、案の定、生徒たちはおとなしく見守ってはいない。私に呼び出しをかけてきた。教室に行くと、イスに二人掛けしたり、床であぐらをかいている生徒たちは、「教頭はこの学校から出ていけ」と罵声を浴びせるのだ。
 私だって腹を据えている。逆に、「君たちはこのままでは社会に出しても通用しない。いや、社会が汚れる。私は君たちの母校であるこの学校を良くしたい。君たちに力をつけ、いい進路につけさせたい。確かに施設も悪い、校舎もボロだ。それを乗り越える努力を私も一生懸命にするから、君たちも立派になったといわれるようにしてほしい」と、生徒たちに訴えた。
 スケバンの母親に学校に来てもらったこともある。母親に「お母さん、本物の母親の愛情は教師百人の力にも匹敵します」と、ある方法をアドバイスした。女子生徒が学校から帰ったら一切口をきかず、ただぼんやりテレビを見ている。食事の支度もせず、食物も口にしない――要するにハンガーストライキの勧めである。「それを三日間続けてください、娘さんは必ず変わります」
 三日目、母親が泣きながら電話をかけてきた。「昨日の深夜、娘が突然『お母さん、ご飯食べでくれ』と泣きだしました。『ご飯を食べないのは、私が悪だからだべぇ』と私の手を取り、肩を揺するのです。親子で抱き合って泣きました。娘がつくってくれたお茶漬けを食べ、夜通し語り合いながら、娘の長いス力ートの裾を縫い直しました。娘はいま美容院に行って、茶に染めていた髪を黒くして登校します」
 一人の女子生徒が自己変革を決意してくれたのだった。
(「致知」九十七年六月号 奈良憲光氏の文章より)
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a 長文 11.3週 1u
 クルト・ネットーが日本にやってきたのは、前述の通り明治六年、十二月の雪の舞う寒い季節であった。横浜から船を乗り継いで釜石に到着した。彼は、政府の役人たちと一緒にさらに一路小坂鉱山へ向かった。もちろん、徒歩である。吹雪のなか、一行はひたすら前へ前へと足を進めた。少しでも立ち止まってしまえば、凍えてしまうのではないかと思うくらい、寒さは厳しかったのである。
 突然、目の前が開けた。眼下には大きな川が水飛沫(みずしぶき)をあげ、渦巻いていた。彼はそこでこの世のものとは思えない凄まじい光景と遭遇した。ガクガクと膝が震えてくるのを止めることはできなかった。その震えは、寒さによるものだけではなかった。
 その厳寒の川のなかで一体何がうごめいているのか、初め彼にはわからなかった。川辺に近づくにつれ、その正体が明らかになっていった。なんと、年老いた日本人労働者たちが首まで水につかり、流されまいと必死でこらえていたのである。労働者たちは一枚の板の上にクルト・ネットーを乗せて川を渡すために、長い時間水のなかで待っていたのであった。
 「何という国であろうか」とクルト・ネットーは強烈な衝撃を受けた。自分のような若者を川の水につからせないために、自分の親ともいえる年配の人たちを厳寒の激流の川のなかに待たせておくなんて……。
 彼は政府の案内人が止めるのも聞かず、その激流の川のなかに飛び込んだ。その老いた労働者たちの支える板に、彼はどうしても乗ることができなかったのである。川を渡り終え、水から上がったとき、衣服はガチンガチンに凍りついていた。
 遠い異国の地で、しかも寒さの厳しい山奥でのこの強烈な体験は、その後もずっと彼の胸に刻み込まれていた。冷たい川の水のなかにたたずみ、自分を見上げる労働者たちの目、目、目……。彼は悪夢にうなされ、夜中にハッと目覚めるのであった。背中は汗でびっしょり濡れ、呼吸は荒かった。
 彼は自分がこの国に何のためにきたのか、考えずにはいられなかった。そしてあのような労働者のためにも、自分はこの国の近代化のために身を捧げなければいけないと強い使命を感じたのであった。
 鉱山から帰ってきた彼は、連日深夜まで机に向かうようになった。日本の発展は鉱業のみならず、橋なくしてはありえないと考えたのである。技術者であるクルト・ネットーは橋の設計図を完成させた。そして政府に無償で提供し、全国に橋をかけることを進言したのであった。
 日本の川に橋がかけられるようになったのには、このようないきさつがあったのである。
 (中略)
 冷たい水につかり、板を差し出している人々は世の中にたくさんいる。あなただったら、そのような人々に対してどう振る舞うだろうか。「そういうときは寒いから、風邪をひくから板の上に乗りなさい」。そんな悪魔のささやきが、日本に汚職事件をはじめ、さまざまな問題を引き起こしたのではないだろうか。
 私はそのような声に断固首を振り、自ら冷たい水のなかに入り、橋をかけようと努力しなければならないと思う。そして私たち日本人にもっとも必要なのは「クルト・ネットー」の精神である「真心」を未来永劫受け継いでいくことであると思うのだ。
(「致知」九十七年六月号 木村慶一氏の文章より)
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a 長文 12.1週 1u
 徳川譜代の暮臣鈴木重成は三代将軍家光のころの人で、島原・天草の乱後、幕府の天領(直轄地)となった天草に代官として赴任しました。島原・天草の乱では三万七千人の民が皆殺しにされましたが、重成自身も乱のとき砲兵隊長として出陣したので、相当の人数を殺したはずです。天草に赴任したときには罪業感を抱いていたかもしれません。
 重成に課せられた任務は、天草の民が二度と乱を起こさないよう民心を安定させること、規定通りの年貢を収められるだけの生産力を回復させること、キリシタンを仏教に改宗させることでした。どれひとつとっても大変なことですが、重成の実力を見込んでの人事でした。
 天草の状況は悲惨でした。島原・天草の乱後、人口が激減し、多くの田畑が耕す人もなく荒れるに任されていました。しかもそこへ過酷な税金が課せられ、農民は木の根、草の根を食べて命をつないでいるありさまです。
 かねてから、天草の島全体の生産力は二万石ほどしかないのに、石高は四万二千石と査定されていました。そもそも島原・天草の乱が起こったのも、重税による生活の苦しさから逃れようと、大勢の農民がキリスト教に入ったことが原因でしたが、乱後も状況は同じでした。
 重成が民の生活を向上させるためにまずやったことは、神社仏閣、道路、港などの築造工事を行い、民に賃金を得させることでした。このために重成は幕府から巨額の資金を調達したようです。いまも天草には、二、三十億円ほどの価値があろうかという社寺が二十五か所ほど残っています。
 やがて重成の努力が功を奏して、荒れた田畑にも実りが戻り、島の生産力は徐々に上がってきました。民の生活にも多少余裕が生じてきたかに見えました。しかしそれでもなお、石高四万二千石の査定は天草には重すぎました。だが重成は幕府の代官です。いかに民の窮状を見るに忍びなくとも、税を徴収しなければなりません。
 ついに重成は石高半減の嘆願を決心しました。重成の心に菩薩心が起こりました。世のため人のためにわが身を投げ捨てようという覚悟です。
 重成は、自分が生きている間に嘆願が受け入れられないことを承知していました。なぜなら、重成の嘆願が認められれば、他の代官がわれもわれもと嘆願書を出すからです。そうなれば幕府の台所にひびが入ります。しかし、嘆願を実現しなければ天草の民は救われません。
 幕府を生かし民も生かす道は一つ。切腹です。
 もちろん、重成には他の道をとることもできました。年齢もすでに還暦を過ぎていましたから、病気を装って隠居を願い出ることもできました。あるいは平々凡々の場当たり的な政治を行って無難に切り抜けることもできたでしょう。しかしそれは、己の命を捨てて他の命のために尽くそうとする重成の菩薩精神が許しませんでした。
 ある年、肥後(熊本県)地方を大暴風雨が襲いました。天草は壊滅的な打撃を被り、農民は田畑も家も食べるものも失いました。
 民を飢えから救うには、米蔵を開放する必要がありました。だが米蔵を開くには幕府の許可が要ります。無断で開けば切腹です。しかし、天草と江戸の距離は往復二千五百六十キロ。普通に歩けば八十日かかります。使いの者の帰りを待っていては民が死にます。
 だが、重成の覚悟はもう固まっていました。「なに、わし一人腹を切れば済む」重成はすぐに米蔵の開放を命じました。承応二年(一八五三)旧暦十月十五日午前零時、重成は石高半減の上表書を妻重子に託して、切腹しました。
(「致知」九十七年四月号 黒瀬昇次郎氏の文章より)
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a 長文 12.2週 1u
 景気動向の二つ目のポイント、個人消費についてです。GDP(国内総生産)の六十%が個人消費ですから、この動きがどうなるかは重要です。
 個人消費には明らかに新しい動きが出ています。個人消費の九十%が女性にかかっているということです。
 GDPの六十%を占める個人消費。その九十%に関わる女性。これからの世の中の流れを作っていく主導権が女性に委ねられたことがわかります。
 世の中の流れが女性の力で作られるようになったのは、給料が銀行振り込みになってからです。そして、その普及に比例して強まってきました。
 このことは一つの傾向としてこれまでも言われてきたことでした。だが、世の中の流れを作る主導権が女性に委ねられていることは、いまや傾向とか趨勢とかの段階ではありません。確かな事実なのです。
 このことがつかめれば、どうすればうまくいくかがわかってきます。
 これまで人びとはマスメディアを媒介にしてモノを買いました。マスメディアに乗るか乗らないかで、大きく売れ行きが違いました。
 しかし、女性はマスメディアとはほとんど無縁です。女性はクチコミによって動くのです。女性とクチコミは一体だと言っていいほどです。
 また、女性の購買行動を観察すれば、すぐにわかることがあります。女性はとことん検討して買うのです。
 私もそうですが、男性はたとえばスーツを買うとき、ある店に行きます。サイズもまずまず、色も無難、値段はちょっと高いといったスーツが目に入ります。すると、まあ、これでいいか、と買ってしまいます。男性の買い方はだいたいこんなものです。
 女性はこんな買い方はしません。店を五、六か所めぐり、デザイン、サイズ、色、品質、値段とあらゆる面を徹底的に比較、検討するのは普通のことです。気に入らないと買いません。だから必然的に、本物だけが売れるということになります。
 昨年十月に開催した“フナイ・オープン・ワールド”では、世の中の主導権が女性に委ねられていることを痛感しました。たとえば、約百社が出展した未来型商品や面白い商品です。正直に言って、その中には私の目から見て、少し気になるものもいくつかありました。しかし、出展料をいただいていることではあるし、と特別気にしませんでした。
 ところが女性は、あんなつまらないものを何で出したのか、こんな偽物を出すなんて、と遠慮会釈のない声をどんどん寄せてきます。女性はその場で瞬時にいいものと悪いものを見分けるのです。本当に怖いと思いました。
 以上のことから、女性主導の流れをつかまえ、うまくやっていくにはどうすればいいかがわかります。
 小売業の場面で言うと、最初に述べたように、明るくすることです。暗いイメージは徹底的に排除しなければなりません。そして、クチコミで売ることです。本物を志向することです。
 では、男性はどうすればいいのか。あるモノが売れたり、客が集まってきたり、という現象が出てきたら、それをどう生かすかを考えるのが男の役割です。男性が流れを作ろうとしたりしてはいけません。そういう世の中になってきた、いや、そういう世の中になっているということを、しっかり受け止めるべきです。
(「致知」九十七年二月号 船井幸雄氏の文章より)
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a 長文 12.3週 1u
 私は、特に小売業に詳しいのですが、小売りの店頭から見て、いまこうやればうまくいくということが三つあります。(1)明るい、(2)女性とクチコミ中心、(3)本物志向がそれです。
 いま、暗い店は売れません。店内の地上一メートルのところで二千ルックスの明るさの売り場がよい、とアドバイスしています。三、四年前までは一千ルックスで十分でした。だが、いまは千五百ルックス以下ではがくんと売れ行きが落ちます。暗い店はだめなのです。
 去年、私はたくさん本を出しました。私の本はほとんどが数万部以上はたちまち売れます。ところが、一冊だけ売れない本がありました。『死中に活路を』(日本実業出版刊)という本です。バブル崩壊から立ち直った二十人の話に私のコメントを入れたもので、いい本なのですが、一万数千部出たところで止まってしまいました。題名にある「死中」という言葉がいけなかったようです。
 「女性とクチコミ」「本物志向」につきましてはあとで詳しく触れますが、これに「明るさ」を加えた三つが、これからうまくいくための欠かせない要素である、そういう流れがある、ということです。
 経営環境の今後の流れがどうなるかも押さえておきましょう。
 日本の景気がよくなるには二つのポイントがあります。一つは土地の値段が下げ止まること、もう一つは個人消費が上向くことです。
 土地の値段は向こう十年は下げ止まらない、というのが私の意見です。いや、二十年かかるかもしれません。
 銀行の頭取さんの知り合いが何人かおり、時折一緒に食事しながら話をします。そういう場では、本音が出ます。そこでわかるのですが、みなさん、私と同じように考えているのです。
 そもそもバブル経済になったのは、土地の値段があがったからです。それが崩壊したのですから、後遺症の後始末がきちんとつかないと、土地の値段は下げ止まらない、というのは簡単にわかることです。きちんと後遺症を処理するには、最終的に銀行が責任をすべてとらなければなりません。
 いまは住専処理の方向に一つの線が出てきたところです。それで終わりではありません。住専が処理されたら、次はゼネコンです。ノンバンクです。これらの後遺症をひとつひとつ片づけていくと、最後は銀行に行き着きます。銀行の後遺症がきちんと処理されて、はじめてバブルの後遺症は完全に解消するのです。
 銀行の頭取さんの多くは「私もサラリーマン経営者だから、任期中にバブルの処理などやりたくない」という気持ちを抱いています。どうしても先へ先へと延ばすことになります。だから、バブルの始末が銀行に回ってきて、最終的に処理されるのは早くて十年、ことによったら二十年かかる、というのは順当な見方なのです。
(「致知」九十七年二月号 船井幸雄氏の文章より)
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 長嶋茂雄さんの監督としての評価にはさまざまな見方があるようです。しかし、長嶋さんの持つあの天性の明るさ、前向きの姿勢は、集団を一つの空気に巻き込んでいくリーダーとしての重要な資質である、と私は見ています。あの無邪気とも言えるひたむきさは、集団を一体化させるカリスマ性さえ感じさせます。
 だが、私はあるとき、間近でバッティングを指導している長嶋監督を見て、驚いたことがあります。長嶋監督がトスを上げ、それを選手がネットに打ち込む練習をしていたのですが、一球ごとに長嶋監督はあの甲高い声でアドバイスを送ります。それが「だめだめ、スパッと」「そう、スパッと振り抜く」「パシッとインパクトを決める」「スパッと振り出してパシッと」といったふうに、オーバーな身振りで注意を与えるのですが、その言葉の大半が擬声音なのです。これはどうしたものだろう、選手はこのような感覚的な表現で、果たして長嶋監督が伝えようとしているものをつかみとれるのだろうか、と私は思ったものでした。
 選手としての長嶋監督は掛け値なしの天才でした。無意識に振り出すバットが理にかなったスイングになっており、多くの選手が苦労して身につけるものを、天賦のものとして備えていた選手でした。だから、選手としての長嶋さんはああでもないこうでもないとバッティングについて考えたこともなかっただろうし、理屈よりも感覚で把握できていたのでしょう。
 しかし、長嶋監督と同じレベルの資質を持った選手ならそれで十分に理解できるでしょうが、そのようなレベルの選手など、そうそういるものではありません。長嶋監督の熱血指導を受けても、わかったようなわからないような、なんだか半信半疑といった感じで終わってしまう選手が多いのではないでしょうか。
 これと対照的に思い浮かぶのは、ヤクルトの野村監督です。野村監督が打撃指導をしているのをやはり間近に見たことがありますが、長嶋監督とは対照的に、少ない口数ながら、実に具体的なのです。「右肩が上がってる。右肘を下に引け」といった具合で、教えるポイントも一点か二点です。
 野村監督も三冠王を獲得した、まぎれもない名選手です。だが、野村監督は天才型ではありませんでした。こつこつと努力して、一歩一歩踏み登ってきた刻苦勉励の人です。それだけに、選手のレベルに合わせて伝えるべきことを表現する技術を持っているのでしょう。
 リーダーは部下が理解できるような表現力を備えていることが、不可欠の条件ではないでしょうか。
(「致知」九十七年五月号 北森義明氏の文章より)
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