長文集  3月4週  ○オーストラリアのヨーク半島  he-03-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 12:52:24
 オーストラリアのヨーク半島のつけね、西
側にいたイル=イヨロント族の変化を見てみ
ます。
 かれらは食料採集民で、狩りをしたり木の
実を集めたりという生活をしていました。か
れらにとっても石斧(いしおの)は男のもの
でした。奥さんや子供が借りることはできま
したけれど、借りるとき、返すときのあいさ
つは、夫は妻に、父は子に優位に立っている
ことを確かめる機会でした。そこへ白人がや
ってきて、鉄の斧が入ってきました。イル=
イヨロント族の人びとが白人の手助けをする
と、その代償として鉄の斧をくれたりします
。ときには、奥さんが鉄の斧をもらうことが
あります。夫のほうは石の斧しかもっていな
いのに、奥さんが鉄の斧をもっていることに
なります。そうする と、「すまんけど、お
まえの鉄の斧を貸してくれ」ということもお
きてきます。これが石が鉄に代わったことで
おきたさまざまな結果の一つです。
 もっと重要なことは、イル=イヨロント族
が浮いた時間をどう使ったかということです
。この点にいま私は大きな関心をもっていま
す。
 浮いた時間を使って、なんとかれらは昼ね
をしたのです。私はじつは、その部分を読ん
だときに吹き出してしまいました。この笑い
には軽蔑の意味もふくまれていたと思うので
す。ところが、私のこの感想はじつはまちが
っていた、といまは思っています。
 二千年前、日本ではどうだったでしょうか
。石から鉄へと変わってきたときに、弥生人
はおそらく浮いた時間で宴会に出席すること
も、昼寝をすることもしませんでした。石か
ら鉄への変化を、生産力の飛躍的な増大につ
なげたのです。いままで石の斧が一本倒して
いる時間で、四本倒すというぐあいに、すご
く生産力を高めたのです。
 四世紀、六世紀(古墳時代)の農民が働き
者だったことは、群馬県で火山の噴火や洪水
の直後に復旧工事にとりくんだ証拠からわか
っています。また、日本の農業が草をとれば
とるほど、よい収穫∵を約束される農業であ
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ることから、弥生農民が働き者だったこと 
を、私は予測しています。
 パプア=ニューギニアやオーストラリアで
は浮いた時間を遊びに使ったのに、日本では
労働に使ったということで、日本人は勤勉だ
と先祖をほめたたえるつもりか、と思われる
かもしれません。そうではありません。
 道具や技術は、毎年のようにどんどんすぐ
れたものになっていきます。なんのためだと
思いますか。質問すると、すこしでも楽にな
るようにとか、効率がよくなるようにとか、
企業がもうけるためだとかいう答えがよくも
どってきます。しかし、結果から見ると、私
はそうではない面もあると思うのです。
 じつは、私たちを忙しくするために道具や
技術は発達してきているのではないでしょう
か。それまで十時間かかったところを、三時
間で行くことができるようになったとします
。浮いた七時間をどう使うかと考えてみると
、ほかの仕事をしているのです。
 すくなくともつい最近までは、歩いている
時間とか車に乗っている時間はボケーッとし
ていることができました。あるいは空想にふ
けることができました。しかし、いまや携帯
電話ができたのです。歩いていても、車に乗
っていても、いつ電話がかかてくるかわかり
ません。相手からだけでなくて、自分からも
かけます。なにもそんなときまでと思うので
すが、そんな大人たちが増えています。
 私たちは、技術や道具の発達は自分たちを
解放するためだと思っていますが、じつは大
きな誤解で、自分たちを忙しくするために技
術や道具が発達している面もあるのではない
かと思うのです。そこで私は思うのです。オ
ーストラリアのイル=イヨロント族が浮いた
時間を寝たというのは、正解だ、と。
 多田道太郎さんは、つぎのようなことを私
に語ってくれました。
『日本には「休む」とか「怠ける」というこ
とばがあるけれども、みんな悪い意味で使わ
れている。しかし、私たちは、むしろ強制さ
れたことはなにもしないという状況に自分を
おくことがたいせつ だ。そういう状況のな
かで、自由にしたいことをする、それが∵遊
びだ。』
 多田さんのいうことのなかに、私にとって
ひじょうに重要なことがふくまれていました
。それは、強制されている状況からは空想力
がはばたくはずがない、休んではじめて人間
の構想力とか空想力がはばたくのだというこ
とです。働きづめに働いていると、そのあげ
くに出てくることは、しょせんたいしたこと
はないのだということです。空想力は想像力
とおきかえてもいい。アインシュタインが知
識よりも想像力のほうがずっとたいせつだ、
といっていることを思いだします。
 たしかに日本人は働きすぎると思います。
私たちはもうすこし余裕をもって、いい意味
での怠惰の精神、遊びの精神で生きていくべ
きではないでしょうか。これをなによりもま
ず自分自身にいいたいと思います。もっと余
裕をもって、遊びをもって生きていったらい
いのではないか、それをイル=イヨロント族
に学びたいという思いなのです。

(佐原真「遺跡が語る日本人のくらし」)