長文集  1月4週  ○釈迦、キリスト、ソクラテス  he2-01-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/10/18 17:09:24
 【1】釈迦、キリスト、ソクラテス、孔子
等の語録を読んでだれでも気づくことは、そ
の多くが対話の形式をとっているということ
である。とくにプラトンの著作はすべて対話
編と呼ばれているように対話が中心になって
いるが、経文も論語も、バイブルもその中に
は対話的要素が少なくない。【2】とくにプ
ラトンの対話編をみると、宗教、哲学、文学
などと分化しない以前の、そのいっさいが一
つの生命において把握されているそういう一
種の原始性がある。現代ではあらゆるものが
分化し、細分化されつつあるが、その以前の
状態のもつ全人性といったものを私は尊重し
てきた。【3】ここに生ずる対話の精神は現
在は消滅したのではないかと疑われる。
 私はきわめて初歩的な問題として提出した
いのだが、読書とは要するに対話の精神の所
産ではないかということである。ごく簡単に
いうと、つまり疑問を持つということだ。【
4】それがどんなに幼稚なものであっても、
人間が青春時代に達すると必ず人生や社会 
や、あるいは自分自身の生存の仕方について
さまざまの疑問を抱 く。疑問を抱き疑問を
表現するということが考えるということの始
まりなのであって、当然その疑問に答える人
を求めるわけである。【5】プラトンの対話
編や、孔子でも釈迦でもソクラテスでも、そ
の語録を読むと、すべて何ものかから疑問を
投げ与えられ、それに対して答えるという形
式をとっている例が多い。あるいは質問した
人間に向かって逆に質問する。【6】それに
よってその人の抱いている疑問に明確なかた
ちを与える。つまり問題の問題であるゆえん
をはっきりさせるのだ。書物が存在したとし
ても、まず現に生きている師に出会って、そ
の師の口からの直接的な問答体によって「自
己」を発芽させる方法がとられたわけである

 【7】さきに述べたようにプラトンは書物
にあまり重きをおかなかったにもかかわらず
多くの書物を書いたが、しかし彼の本来の仕
事はアカデミアにおける研究、あるいは弟子
たちとの問答による教育という点に主眼がお
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かれていたわけで、書物そのものの占める比
重∵は、今日から考えるとかなり小さかった
と思われる。【8】この状態を、書物に対し
てもできるだけ応用してみることを私はすす
めたいのである。もっともプラトンが指摘し
たように、こちらで問いかけても書物という
ものは同じ言葉をくりかえすだけで何も答え
てはくれない。【9】疑問を抱いて接しても
、明確な答えが直ちに得られるとは限らない

 たしかに書物の限界にはちがいないが、だ
から書物は不用だということにはならない。
この限界があるからこそ、逆に書物に対する
我々の無限の探求が始まるわけである。【0
】これは、田中美知太郎氏も指摘しておられ
る点で、プラトンの真意を知るためには、あ
らゆる種類の解釈、考証、共同研究等が求続
的に行われなければならなかったし、そのた
めに読書力が深まった、と。

 (亀井勝一郎『読書論』(旺文社))